April 082003
山ざくら曾て男は火の瞳持ち櫛原希伊子男のはしくれとしては、面目まるつぶれと頭を垂れるしかない句だ。前書に「『山行かば草生す屍』の歌ありて」とあるから、「曾て(かつて)」とは、大伴家持が「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大皇の辺にこそ死なめ顧みはせじ」と詠んだ万葉の時代だ。微妙な言い方になるが、そのことの中身の現代的な解釈はともかくとして、「男とはかくあるべし」と多くの男も女もが思い信じていた時代があった。「山ざくら」との取り合わせの必然性は、本居宣長の「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」にある。まことに清冽な気概を持った男たちの瞳(め)は、一朝事あらば、たしかに火と燃えたであろう。その炎の色は、花ではなくて葉のそれである。深読みしておけば、山桜の花は女で葉が男だ。だから、女の介入する余地のない武士道にはソメイヨシノが適い、男の道には女とともにあるヤマザクラが似付かわしいと言うべきか。さて、それに引き換えいまどきの男どもときたら……などと、これ以上言うのはヤボである。大伴家持の歌は、第二次世界大戦の際に、戦死者を悼み顕彰する歌として大いに喧伝された。軍国主義者には、格別「大皇の辺にこそ死なめ」のフレーズが気に入ったからだろう。しかし、その気に入り方は歌の本意からは、はるかに遠いものだった。というのも「曾て」の「大皇(おおきみ)」は、いつも戦いの最前線にいたのだからだ。後方の安全地帯で指揮を取るなんてことは、やらなかった。大皇が実際に身近にいて、ともに戦ったからこその「辺にこそ死なめ」であったことを、軍国主義者は都合よく精神的な意味に曲解歪曲したのである。あるいは単に、読解力が不足していたのかもしれないけれど。『きつねのかみそり』(2002)所収。(清水哲男) April 072003 寂しきは鉄腕アトム我指すとき清水哲男と [ おまけ ]現在、JR高田馬場駅で流れている発車ベルにはアトムの主題曲が使われています。お聞き下さい。22秒、動画はありません。要QuickTime。 April 062003 直立の夜越しの怒り桜の木鈴木六林男よほどの「怒り」だ。一晩中、怒りの感情がおさまらない。それほどの怒りでありながら、怒りの主は夜を越して「直立」していなければならない。なぜならば、怒っているのは、直立を宿命づけられている「桜の木」だからだ。そして、この木の怒りはついに誰にもわからないのだし、花が散れば振りむく者すらいなくなってしまう。桜の木と日本人との関係について「五日の溺愛、三百六十日の無視」と言った人がいる。至言である。ところで、掲句を文字通りに解しても差し支えはないのだが、作者の従軍戦闘体験からして、桜の木を兵士と読み替えても、とんでもない誤読ということにはならないだろう。たとえば「夜越し」の歩哨などに、思いが至る。理不尽な命令に怒りで身を震わせながらも、一晩中直立していなければならない兵士の姿……。まさに桜の木と同様に、彼の内面は決して表に出ることはないのだと読める。それが兵士の宿命なのだ。こう読むと、たとえ諺的に「花は桜木、人は武士」などと如何にもてはやされようとも、実体はかくのごとしと、それこそ作者自身の怒りが、ようやくじわりと表に現れてくる。余談ながら、諺の「花は桜木……」は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の十段目から来ている。天河屋義平の義の厚さに感じ入った武士たる由良之助が、一介の商人の前に平伏して「花は桜木、人は武士と申せども、いっかな武士も及ばぬ御所存」と言うのである。『鈴木六林男句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)
|