戦争とは何か。この問題を自身の従軍体験から問い続けている詩人に井上俊夫がいる。




2003ソスN4ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1142003

 花吹雪うしろの正面だれもゐず

                           中嶋憲武

るときは、本当に吹雪のように散る。見事なものだ。作者はひとり「花吹雪」のなかにいて、いささかの感傷に浸っている。思い返すと、子供のころには、いつも「うしろの正面」に誰かがいたものだが、いつしか誰もいなくなってしまった。実際に誰かがいたというよりも、両親など、頼もしい誰かの存在を感じながら生きていたのに、その存在が消えてしまった。ひとりぼっち。そんな寂寥感が、激しい落花に囲まれて迫ってくる。苦くもあり、しかしどこか甘酸っぱくもある心情の吐露と言うべきか。というのも、単に背後と言わず、わざわざ「うしろの正面」と、子供の遊び「かごめかごめ」の歌詞の文句を借用しているからだ。このことで、句には楽しかった幼時追想の色合いが濃く滲み出た。「かごめかごめ、籠のなかの鳥は、いついつ出やる/夜明けの晩に、鶴と亀がすべった/うしろの正面だあれ?」。私はこう覚えているが、地方によって多少の異同があるようだ。あらためて眺めてみると、この歌の意味はよくわからない。ただ「夜明けの晩」と「うしろの正面」という矛盾した表現から推して、そうした矛盾を面白がる発想から作られたものだろう。「八十歳の婆さんが九十五歳の孫連れて……」なんて戯れ歌もあったけれど、そんな歌と同じ発想だ。つまりナンセンスソングなのだから、意味を求めても、そのこと自体がナンセンスな試みになってしまう。しかし、子供のころには、誰もが意味不明だということを少しも疑問に思わずに歌っていた。歌にかぎらず、さしたる疑問など持たずに生きていられたのは、むろん「うしろの正面」に安心できる誰かがいてくれたおかげなのである。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


April 1042003

 げんげ田や花咲く前の深みどり

                           五十崎古郷

語は「げんげ田」で春。「春田(はるた)」に分類。昔の田植え前の田圃には、一面に「げんげ(紫雲英)」を咲かせたものだった。鋤き込んで、肥料にするためである。いつしか見られなくなったのは、もっと効率の良い肥料が開発されたためだろう。これからの花咲く時期も見事だったが、掲句のように、「花咲く前の深みどり」はビロードの絨毯を敷き詰めたようだった。それがずうっと遠くの山の端にまで広がっているのだから、壮観だ。もう一度、見てみたい。句は単に自然の色合いをスケッチしたようにも写るけれど、そうではなくて、紫雲英の「深みどり」には、胎生している生命力が詠み込まれているのだ。むせるように深い、その色合い……。春夏秋冬、折々の自然の色合いは刻々と変化し、常に生命についての何事かを私たちに告げている。連れて、私たちの感受の心も刻々と動いていく。知らず知らずのうちに、私たちもまた、自然の一部であることを知ることになる。やがて紫雲英の花が咲きだすと、子供だった私たちにですら、圧倒的な自然の生命力がじわりと感じられるのだった。「げんげ田の風がまるごと校庭に」(小川軽舟)。校庭で遊ぶ私たちへの心地よい風は、農繁期の間近いことを告げてもいた。もうすぐ、遊べなくなるのだ。子供が、みんな働いていた時代があった。『五十崎古郷句集』(1937)所収。(清水哲男)


April 0942003

 乙鳥や赤い暖簾の松坂屋

                           夏目漱石

松坂屋
語は「乙鳥(つばくろ・つばくら・燕)」で春。東京にも、そろそろ渡ってくるころだろう。句は1986年(明治二十九年)に詠まれたもの。東京上野広小路にあって、まだ百貨店ではなく呉服屋だったときの「松坂屋」だ。図版からわかるように、大きな「暖簾(のれん)」を連ねてかけた和風の建物だった。店の前を鉄道馬車が通っていることからも、当時より繁華街に位置していたことが知れる。ただ「赤い暖簾」とあるけれど、まさか赤旗のような真紅ではなくて、そこは老舗の呉服屋らしく、渋い赤茶色(柿色)だった。昔の商家の暖簾は、たいていが紺地に白抜き文字のものだったというから、かなり派手に見えたに違いない。そんな暖簾が春風を受けて揺れているところに、ツイーンツイーンと低空で乙鳥が飛び交っている。いかにも晴朗闊達なスケッチで、気持ちのよい句だ。句の字面も座りがよく、いかにもどっしりとした松坂屋の構えも彷彿としてくる。漱石先生、よほど上機嫌だったのだろう。この建物が洋館に変わったのは、1917年(大正六年)のことで、設計者は漱石の義弟にあたる鈴木禎次であった。しかし、漱石はこの新建築を見ることなく、前年に没している。享年四十九。『漱石俳句集』(1990・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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