ラジオをやめてヒマになるはずが、右往左往しているうちに四月もおしまいである。




2003ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3042003

 腹立ててゐるそら豆を剥いてをり

                           鈴木真砂女

語は「そら豆(蚕豆)」で夏。サヤが空を向くので「そらまめ」としたらしい。そのサヤを、むしゃくしゃとした気持ちで剥(む)いている。作者は銀座で小料理屋「卯波」を営んでいたから、剥く量もかなり多かっただろう。仏頂面で、籠に山なす蚕豆のサヤを一つ一つ剥いている姿が目に浮かぶようだ。妙な言い方になるけれど、女性の立腹の状態と単純作業はよく釣り合うのである。かたくなに物言わず、ひたすら同じ作業を繰り返している女性の様子は、家庭でもオフィスなどでもよく見かけてきた。一言で言って、とりつくシマもあらばこそ、とにかく近づきがたい。「おお、こわ〜」という感じは、多くの男性諸氏が実感してきたところだろう。怒ると押し黙るのは男にもある程度共通する部分があるが、怒りながら何か単純作業をはじめるのは、多く女性に共通する性(さが)のように思われる。したがって、仮に掲句に女性の署名がなかったとしても、まず男の作句と思う読者はいないはずだ。些細な日常の断片を詠んだだけのものだが、女性ならではの句として、非常によく出来ている。話は変わるが、東京あたりの最近の飲み屋では、蚕豆のサヤを剥かずに火にあぶって、サヤに焦げ目がついた状態でそのまま出す店が増えてきた。出された感じは、ちょっとピーマンを焼いた姿と似ている。あれは洒落た料理法というよりも、面倒なサヤ剥きの仕事を、さりげなく客に押し付けてやろうという陰謀なのではなかろうか。そうではないとしても、サヤの中の豆の出来不出来を見もしないで客に出す手抜きは、実にけしからん所業なのであります。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


April 2942003

 飛ばさるは事故かそれとも春泥か

                           岡田史乃

通事故にあった句。一瞬、何が自分の身に起きたのかがわからなくなる。私の場合は、こうだった。もう深夜に近い人影もまばらな吉祥寺駅前の交差点で、信号はむろん青だったが、普通の足取りで渡っていたら、前方の道から走ってきた右折車が有無を言わせぬ調子で突っ込んできた。あっと思ったとたんに、私の身体は嘘のように軽々とボンネットに乗っており、次の瞬間には激しく路上に叩きつけられていた。ボンネットに乗ったところまでは意識があったけれど、下に落ちてからは、掲句のように頭が真っ白になった。何が何だかわからない。したたかに腰を打って、しかし懸命に立ち上がったところに運転者が降りてきた。「大丈夫ですか」。こんなときにはそんなセリフくらいしか吐けないのだろうが、大丈夫もくそも、こっちの頭は大いに混乱している。とにかく歩道にあがって、そやつの顔を街灯で見てみると、こっちよりもよほど若く、よほど顔面蒼白という感じだった。私が黒いコートを着ていたので、まったく見えなかったと弁解し、「すみません、すみません」と繰り返すばかり。名刺はないけれど、近所の中華料理店で働いていると店の名前と場所と電話番号をメモして渡してくれたので、こちらもとにかく立ててはいられるのだからと、警察沙汰にするのも可哀想になってきて、今後は気をつけるようにと放免してやった。ところで最近、この句の「飛ばさるは」について、「飛ばさるるは」ないしは「飛ばされしは」でないと表現上まずいという人たちの話を雑誌で読んだ。事が事故でなければ、たしかにまずい。しかし、文法的な整合性に外れていると知りつつも、あえて作者は「飛ばさるは」として、交通事故にあった切迫感を出しているのだと思う。そのへんの機微がわからないとなると、俳句の読者としてはかなりまずいのではなかろうか。「俳句」(2000年3月号)所載。(清水哲男)


April 2842003

 江戸留守の枕刀やおぼろ月

                           朱 拙

者は江戸期地方在住の人。「江戸留守」とは聞きなれない言葉だが、自分が江戸を留守にするのではなく、主人が江戸に出かけて留守になっている状態を指す。現代風に言えば、さしずめ夫が東京に長期出張に出かけたというところだ。その心細さから、枕元に護身用の刀を置いて寝ている。今とは違って、電話もメールもない時代だから、江戸での主人の消息はまったくわからない。無事到着の手紙くらいは寄越しても、毎日の様子などをいちいち伝えてくるわけじゃなし、そのわからなさが、留守居の心細さをいっそう募らせたことだろう。句の眼目は、しかしこの情景にあるのではなく、下五の「おぼろ月」との取りあわせにある。この句を江戸期無名俳人の膨大な句のなかから拾ってきた柴田宵曲は、次のように書く。「蕪村の『枕上秋の夜を守る刀かな』という句は、長き夜の或場合を捉えたものである。この句も或朧月夜を詠んだに相違ないが、江戸留守という事実を背景としているために、もっと味が複雑になっている。朧月というものは必ず艶な趣に調和するとは限らない。こういう留守居人の寂しい心持にもまた調和するのである」。同じ朧月でも、見る人の心の状態によって、いろいろに見えるというわけだ。当たり前のことを言っているようだが、古来朧月の句がほとんど艶な趣に傾いているなかにあって、この指摘は貴重である。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)




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