風邪は三日で退散。夏風邪は長いと聞くが、すれすれの春風邪ゆえにセーフ(笑)。




2003ソスN5ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0652003

 駅員につぎつぎと辞儀遠足児

                           森口慶子

語は「遠足」で春季とするが、今月一杯くらいは遠足の子供たちをよく見かける。ほほ笑ましい句だ。軽いけれど、スケッチ句としての軽さが生きている。子供らは、出発前に言い含められて来たのだろう。お世話になる人、なった人には必ずお辞儀をすること、お礼を言うこと。で、早速改札口での実践となったわけだ。困惑しつつも微笑している駅員の姿が、目に浮かぶ。最近は、挨拶もロクにできない若者が増えているせいか、教育現場では挨拶の仕方に力を入れているのだろうか。句の情景がその反映だとしたら、いささかやり過ぎではあるにしても、好ましいことだ。子供たちは、こうやって挨拶体験の機会を重ねていくうちに、馬鹿丁寧はかえって失礼になるなど、自分なりに適切な方法を覚えていくだろう。挨拶で、ひとつ思い出した。飲食店で勘定を払った後で「ご馳走さまでした」と言う人がいるけれど、あれは変な挨拶だと詩人の川崎洋がどこかに書いていた。普通の家庭でご馳走になったのではなく、商売で飲食物を提供しているのだから、別に店側は客にご馳走しているわけじゃない。だから変なのだけど、かといって、金を払ってムスッと店を出るのもはばかられる。そういうときには「お世話様」と、川崎さんは言うことにしているそうだ。つまり、決してご馳走にはなっていないのだが、その店ならではの人的サービスは受けている。そのサービスへの挨拶としての「お世話様」ということだろう。タクシーを降りるときなども、同じである。以来、私も「お世話様」組となっている。他に何か適切な言葉はないかと探してはみているが、どうも「お世話様」以上にピンとくる言葉はないようだ。『楽想』(2003)所収。(清水哲男)


May 0552003

 姉三人丁丁と生き煮そうめん

                           北川孝子

兄弟はあまり集まらないが、何かにつけて女姉妹はよく集まる。古今東西、どういうわけか、そういうことになっている。夏場の「そうめん(素麺)」といえば冷や素麺と決まったようなものだが、たまには熱い素麺も美味い。「煮そうめん」は澄まし汁で食べるさっぱり味の湯麺(にゅうめん)ではなく、味噌などで煮込んだ濃い味のものだろう。「丁丁(ちょうちょう)と生き」が面白い。「丁丁」は一般的には擬音で、鐘の音など、かん高い音が続いて響くさまを表す言葉だ。が、作者はこれを姉たちの生きてきた様子になぞらえている。子供のころから、いつも元気で屈託が無く、かん高くもたくましい生活者のありように、なるほど「丁丁と」とは言い得て妙ではないか。引き比べて、同じ姉妹でも、私はかなり違うようだ。彼女たちのように、闊達に生きてきたとはとても言えない。どうしてなんだろう。会うたびに、そう思う。このちょっとした疑念が、煮そうめんの濃い味にからまってくる感じで、既にあっけらかんと食べ終わっているであろう姉たちとの対比を、より色濃いものにしている。今日は「こどもの日」。小さいころの気質や性格は、そして兄弟姉妹の関係のありようも、よほどのことがないかぎり、大人になっても変わらないものだと思う。そういう目で、今日という日の子供らをあらためて見つめてみるのも、大人にとっての「こどもの日」の存在意義の一つかもしれない。なお掲句は、便宜上夏の季語「冷素麺」に分類しておく。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 0452003

 ちまき買ひ交通難の刻過ごす

                           杉山岳陽

かったようで、わからない句。家族のために「ちまき(粽)」を買い求め、少しでも早く帰りたいのだが、「交通難」のせいで苛々させられている。ここまではわかるのだけれど、しからば、このときの作者は物理的にはどんな状態にあるのだろうか。つまり、交通難とは何を指して言っているのかがわからないのだ。現代の感覚からすると、交通渋滞ということになりそうだが、この句は出典の発行年からして、1960年代以前に詠まれている。ほんの一部の地域を除いては、まだ渋滞は一般的ではなかったころの句だ。むろん、そんなにマイカーは普及していない。そこでネットを走り回って調べてみたところ、専門家の間では、交通渋滞と交通難とでは定義の違うことがわかった。交通渋滞はいまどきの私たちが体験しているそれであるが、交通難は交通機関が乏しい、インフラの整備が遅れている状態を指すのである。該当する一般的な用例としては、こんなのがあった。「最近の大阪は、東京と同じく交通難だった。午後三時を過ぎると、御堂筋でも、なかなか空車がつかまらない」(梶山季之『黒の試走車』1962)。明らかに、交通渋滞ではないことがわかる。そんなこんなを考え合わせると、掲句の作者の場合も、この状態にあるのだと思われる。タクシー待ちとは限らないにしても、バスや市電を待っているが、なかなか来ないので苛々している図だ。ああ、言葉は難しい。言語難。『新改訂版俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます