巨人は苦しいだろうなあ。野球らしい野球をやってこなかったがゆえの当然のツケ。




2003ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152003

 目高泳ぐ俳句する人空気吸えよ

                           豊山千蔭

語は「目高(めだか)」で夏。私なら春期としたいところだが、夏場に水槽などに飼われ、涼味を鑑賞されたことからの分類のようだ。金魚や熱帯魚と同じ扱いである。でも、いまどき目高と聞いて、水槽の中に泳ぐ姿を思い浮かべる人がいるだろうか。なんとも違和感を覚える分類だけれど、俳句ではそういう約束事になっているのだから、誰もが夏の魚として詠んできた。このように、俳句には常識では首をかしげたくなるような約束事が多い。門外漢には隠語としか思えない季語もあるし、不可解な用語法もある。だから「俳句する人」は勉強しなければならないし、様式に慣れなければならない。特別な研鑽を積む必要がある。となると、つまるところ俳句は「俳句する人」だけにしかわからない文芸であり、結局は仲間内の詩だと断じても、あながち的外れな指摘とは言えないだろう。初心のころはともかく、こうして多くの「俳句する人」は、だんだん俳句世界のなかだけで「空気」を吸うようになっていく。公園や名所などで、句になりそうな動植物に群がっている手帖片手の人たちを散見するが、見ていて哀れだ。いまさら目を見張ってみたところで、そんなに急に何かが見えてくるわけじゃない。いくら目の前にそれがあっても、見え方はその人の器量にしたがって見えるだけなのだ。人の器量は、人生経験やら勉強した知識やら生得の感覚やら、その他の何やかやで構成される。決して、俳句だけで培った何やかやだけじゃないはずだ。ところが、往々にして「俳句する人」は俳句の器量だけで物事を見るようであり、そこから詠んでいくようであり、ますます仲間内の文芸を固めていくようである。まるで水槽のなかの目高なんだね、これは。掲句の作者は、それではいけないと言っている。もっと俳句の外の「空気吸えよ」と、俳句で言っている。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


May 1052003

 自販機にしやがむ警官栗の花

                           佐山哲郎

語は「栗の花」で夏。まだ、花期には少し早いかな。句の眼目は「警官」を「しやが」ませたところにある。警官もいろいろだが、いわゆる「お巡りさん」だ。何か飲み物でも買ったのだろう。「自販機」だからしゃがまざるを得ないのだが、こういうところを見かけないかぎり、警官はいつも表では立っている存在だ。職業柄とはいえ、常に人を疑うという緊張感は相当なものだろう。しかし、疲れたからといって、しゃがんでいたのでは仕事にならない。まず、自分の姿勢が無防備に見えてはならない職業なのだ。そんな警官が、ふっとしゃがんだ。一瞬、無防備な姿勢になった。そこを見逃さずに詠んだ作者の観察力は、なかなかに鋭い。でも、栗の花との取りあわせの妙味はどこにあるのだろうか。ちょっと考えさせられた。おそらく、高いところで咲く花の形状ではなくて、あの独特の匂いを詠み込んだのではなかろうか。甘いような青臭いような匂いは、たとえれば女の匂いではなく、男の匂いである。普段はさして性を感じさせることのない警官に、作者はこのとき、不意に男臭さ、人間臭さを感じたのだと思う。人はたぶん、無防備なときにこそ、いちばん人間臭さやその人らしさを発散するのだろう。ちなみに、作者は浄土宗の住職である。こっちは警官とは逆に、坐っているイメージの強い仕事ですな。『東京ぱれおろがす』(2003)所収。(清水哲男)


May 0952003

 舗装路に黒穂東京都に入れり

                           中島まさを

語は「黒穂(くろほ)」で夏。病気にかかった麥を言うので、分類は「麥」に。いつごろの句だろうか。高度成長期ではあろうが、まだ初期の段階と思われる。作者は地方から列車で出てきて、句の光景を車窓から見ているのだと思う。マイ・カー時代は少し先の話である。東京周辺部ではまだ「舗装路」が珍しかったころなので、舗装路が見えたときに「東京都」に入ったことに気がついたのだ。周辺にはまだ昔ながらの麥畑が広がっているのだが、そのところどころに黒い穂が混じっている。とにかく、畑に勢いがない。環境破壊や公害が表立って問題にされることもなかったころに、いちはやく田舎の人の目はこのようにして、病んでいく東京に気がついていたのだった。「東京」ではなくて、故意に「東京都」としたところが句の眼目であり、痛烈に皮肉が効いている。現在だと、どうだろう。どんな光景に「東京都」に入ったことを感じられるだろうか。もはや、広がっている光景の変化だけで感じ取るのは無理かもしれない。他県との境界にある何らかのモニュメントを知っているか、あるいは山や川の地勢に通じているかしないと、行政区分上の「東京都」への入り口はわからなくなってしまったようだ。「東京都」が周辺に膨張しつづけた結果であり、いまなお膨張はつづいている。『新改訂版俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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