久留米よりとんぼ返りの予定。あちこち寄りたくても、諸般の事情がありまして。




2003ソスN5ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1852003

 アナウンスされ筍の遺失物

                           伊藤白潮

るい忘れ物。と言ったら、忘れた人に失礼か。でも、この「アナウンス」を聞いた人はみな、ふっと微笑しただろう。そして、もちろん掲句の読者も……。忘れるときには忘れるのだから、何故と問うのは愚問ではあるが、しかし、世の中には不思議なものを忘れる人がいる。聞いた話だけれど、入れ歯やカツラ、位牌や骨壷、さらにはコオロギ50匹を車内に忘れたなんてのもあった。また、これはよくあるらしいのだが、駐車場に車を置き忘れて、電車で来宅してしまう人。なかには、なんと人間を忘れる人も結構いるようで、デート中の彼女だとか、我が子だとか……。この我が子を忘れちゃった人は、かのミスター長嶋茂雄で、かなり有名な話である。ちなみに警視庁遺失物センターによると、昨年(2002年)度に届けられた拾得物の点数でいちばん多かったのが「傘」で、全体の20%ほど。以下、「衣類」「財布類」「カード・証明書類」「有価証券類」の順になっている。私も、傘は何本忘れたことか。ついでに職業柄の話をしておけば、作家からもらった原稿を、どこかに忘れた経験のある編集者も案外と多い。私が編集者だったころは、コピー機もなければワープロもなかった。正真正銘の生原稿をあずかるのだから、絶対に忘れてはいけないのだが、つい電車の網棚などに紙袋に入れたまま忘れてしまう。真っ青になって駅の遺失物係に駆け込んでも、紙袋などはまず出てこない。誰かに捨てられてしまうのである。だから私は、どんな大家の原稿であろうとも、背広の内ポケットにくしゃくしゃにして詰め込んで移動していた。といっても、まさか作家の目の前でくしゃくしゃにするわけにもいかないので、お宅を辞去してから百メートルほど歩いて、おもむろに破れないように丁寧にくしゃくしゃにしたものだった。俳誌「鴫」(2000年6月号)所載。(清水哲男)


May 1752003

 出立の彼を頭上に溝浚う

                           岡本信男

語は「溝浚う(みぞさらう)・溝浚へ」で夏。都会では蚊などの発生を防ぐため、田舎では田植え前の用水の流れをよくするため、この時期にいっせいに溝を浚う。現代の東京あたりでは、溝やらドブは全くと言っていいほどに見られなくなっている。したがって、町内いっせいの溝浚いも姿を消した。先日、神戸の舞子駅に降りたら、駅のすぐそばに奇麗な溝のある住宅街があり、懐しかった。細い溝ても、多少汚くても、町の中に水が流れているのは良い気分だ。対して、句の溝は田舎の溝である。道路よりもかなり低いところにあって、幅も広い。作者が浚っていると、これから「出立」する「彼」が挨拶に来た。同世代の友人だろうか。ちょっと旅行に行くというのではなくて、都会に働きに行くのか、あるいは大学などへの入学のためか。いずれにしても、もうちょくちょくは会えない遠いところに出かけていくのである。そんな彼を見上げるようにして、作者も挨拶を交わす。自分とは違って、彼のパリッとしたスーツ姿がまぶしい。お互いの今いる位置の高低の差が、なんとなくそのまま未来の生活の差になるような……。都会へ都会へと、田舎を捨てて出ていく人の多かった時代の雰囲気をよく捉えた佳句だ。その後の長い年月を経た今、出ていった「彼」はどうしているだろうか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


May 1652003

 起し絵の男をころす女かな

                           中村草田男

起し絵
語は「起し絵(おこしえ)」で夏。昨日につづいて「死季語」の登場です。極彩色の錦絵、浮世絵に鋏を入れ、芝居の舞台などを立体的に組み立てる遊びで、江戸から大正にかけて流行した。言うなれば、元祖ペーパークラフト。関西では「立版古(たてはんこ)」と呼んだ。夏の縁側などにこれを置き、蝋燭の明かりで楽しんだことから夏季に分類されてきた。句は、子供時代の回想だろう。ゆらめく灯のなかに、いままさに「男をころす女」の姿が不気味に浮き上がっている。母親や近所のおばさん、お姉さんとは違って、こういう怖い女の人もいるのかと凝視した。でも、当時は自覚しなかったけれど、ただ単に怖いというのではなく、どこかでその女の人に魅かれていたことも確かだった。いまだに起し絵の情景を鮮かに思い浮かべられるのは、そんな仄かな性の目覚めがあったからである。と、単純な句柄ながら含蓄のある句だ。ところで、起し絵そのものは昭和期以降急速に廃れていったが、系譜はのちの少年雑誌の組み立て附録として受け継がれ、現代でも紙製ではないけれど、ジオラマ風の展示物として博物館などで見ることができる。図版は、園田学園女子大学のHPより借用した。ちょっと暗くて見にくいが、近松半二作『妹背山婦女庭訓』山の段(吉野川)の組み上げ絵である。『長子』(1936)所収。(清水哲男)




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