俳誌の最新号がなかなか反映できない。今月号に桜の句など季節的にずれるので。




2003ソスN5ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1952003

 キューリ切り母の御紋を思い出す

                           三宅やよい

木瓜紋
語は「キューリ」で夏だが、「胡瓜」としないで「キューリ」としたところが、句の眼目だ。一般的にはもはや使われなくなった古風な「御紋」との対比が生きてくる。家紋には左右対称形の図柄が多く、また植物系のものも多いので、たしかに「キューリ」の断面は何かの紋に似ていなくもない。食事の用意をしながら、ふっと「母の御紋」を思い出した作者は、ちらりと当時の母の冠婚葬祭などでの立ち居振る舞いに思いが至ったのだろう。しかし、それも束の間、すぐに現実に戻って台所仕事をつづけている作者の様子が、この「キューリ」という故意に軽くした表現に読み取れる。句のように、私たちもまた、なんでもない日常の中で、ふとしたきっかけから瞬時身近にいた誰かれのことを思い出すことがある。そして、間もなく忘れてしまう。そのあたりの人情の機微を、「キューリ」一語の使い方で巧みに詠み込んだ佳句だと感心してしまった。ただ読者のなかには、あるいは「母の御紋」を何故作者が知っているのかと疑問に思う方がおられるかもしれない。母方の紋を代々娘が継ぐ風習は、多く関西地方に見られたもので、全国的ではなかったようだ。私の母も関西系だから、彼女の紋が「抱茗荷」と知っているわけで、他の地方の女性は嫁入り先の紋をつけたから、一つの家には一つの家紋というのが常識という地方が多かったろう。ちなみに、関西での男方の家紋は「定紋」と言い、女方のそれは「替紋」と呼んだ。ところで、掲句の紋はどんなものなのだろうか。図版の「木瓜」というのがある(織田信長の家紋で有名)けれど、胡瓜の切り口を図案化したものと言われはするが、本来は「カ(穴カンムリに巣と書く)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものだそうだ。カとは地上に巣を作る鳥の巣であり、樹上に作られたものを巣と書いた。多産を祈った紋と思われる。ところで、あなたの家の紋所は何でしょう。ご存知ですか。恥ずかしながら、私は父家の紋をこれまで知らずに生きてきました。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 1852003

 アナウンスされ筍の遺失物

                           伊藤白潮

るい忘れ物。と言ったら、忘れた人に失礼か。でも、この「アナウンス」を聞いた人はみな、ふっと微笑しただろう。そして、もちろん掲句の読者も……。忘れるときには忘れるのだから、何故と問うのは愚問ではあるが、しかし、世の中には不思議なものを忘れる人がいる。聞いた話だけれど、入れ歯やカツラ、位牌や骨壷、さらにはコオロギ50匹を車内に忘れたなんてのもあった。また、これはよくあるらしいのだが、駐車場に車を置き忘れて、電車で来宅してしまう人。なかには、なんと人間を忘れる人も結構いるようで、デート中の彼女だとか、我が子だとか……。この我が子を忘れちゃった人は、かのミスター長嶋茂雄で、かなり有名な話である。ちなみに警視庁遺失物センターによると、昨年(2002年)度に届けられた拾得物の点数でいちばん多かったのが「傘」で、全体の20%ほど。以下、「衣類」「財布類」「カード・証明書類」「有価証券類」の順になっている。私も、傘は何本忘れたことか。ついでに職業柄の話をしておけば、作家からもらった原稿を、どこかに忘れた経験のある編集者も案外と多い。私が編集者だったころは、コピー機もなければワープロもなかった。正真正銘の生原稿をあずかるのだから、絶対に忘れてはいけないのだが、つい電車の網棚などに紙袋に入れたまま忘れてしまう。真っ青になって駅の遺失物係に駆け込んでも、紙袋などはまず出てこない。誰かに捨てられてしまうのである。だから私は、どんな大家の原稿であろうとも、背広の内ポケットにくしゃくしゃにして詰め込んで移動していた。といっても、まさか作家の目の前でくしゃくしゃにするわけにもいかないので、お宅を辞去してから百メートルほど歩いて、おもむろに破れないように丁寧にくしゃくしゃにしたものだった。俳誌「鴫」(2000年6月号)所載。(清水哲男)


May 1752003

 出立の彼を頭上に溝浚う

                           岡本信男

語は「溝浚う(みぞさらう)・溝浚へ」で夏。都会では蚊などの発生を防ぐため、田舎では田植え前の用水の流れをよくするため、この時期にいっせいに溝を浚う。現代の東京あたりでは、溝やらドブは全くと言っていいほどに見られなくなっている。したがって、町内いっせいの溝浚いも姿を消した。先日、神戸の舞子駅に降りたら、駅のすぐそばに奇麗な溝のある住宅街があり、懐しかった。細い溝ても、多少汚くても、町の中に水が流れているのは良い気分だ。対して、句の溝は田舎の溝である。道路よりもかなり低いところにあって、幅も広い。作者が浚っていると、これから「出立」する「彼」が挨拶に来た。同世代の友人だろうか。ちょっと旅行に行くというのではなくて、都会に働きに行くのか、あるいは大学などへの入学のためか。いずれにしても、もうちょくちょくは会えない遠いところに出かけていくのである。そんな彼を見上げるようにして、作者も挨拶を交わす。自分とは違って、彼のパリッとしたスーツ姿がまぶしい。お互いの今いる位置の高低の差が、なんとなくそのまま未来の生活の差になるような……。都会へ都会へと、田舎を捨てて出ていく人の多かった時代の雰囲気をよく捉えた佳句だ。その後の長い年月を経た今、出ていった「彼」はどうしているだろうか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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