May 222003
舞へや舞へ片目つむりて蝸牛
多田智満子
季語は「蝸牛(かたつむり)」で夏。『梁塵秘抄』に「舞へ舞へかたつぶり、……」と出てくる。が、掲句にそんな遊び心はないように思った。たぶん幼いころに、作者には「かたつむり」と「かためつむり」のイメージとが固く結びついてしまったのだろう。よくあることで、長じてもなお、蝸牛と聞くと「片目つむり」のイメージがつきまとって離れない。つまり、この句は大人の浅知恵でわざと幼児的な言葉遊びを試み、読者を面白がらせようとしたものではないと読める。学問的には何と言うのか知らないが、こうした幼児期の錯誤的な思い込みは誰にでもいくつかはあるようで、私にもある。多くの場合に絶好の笑い話の種となるが、しかし、時と場合によっては苦しみの種となることもある。ふとした折りに、どうかすると心の中でこの思い込みが肥大してきて、頭ではむろん錯誤とわかっていながらも、どうにもならなくなるのだ。振り払おうとしても、簡単には振り払えない。ならばいっそのこと逆療法で、錯誤の海に溺れてやろうとしたのが、掲句のテーマだろう。そうでなければ、『梁塵秘抄』からの着想にせよ、蝸牛に「舞へや舞へ」などと無理難題を持ちだしたりはできない。それこそ第一、イメージ的に無理がありすぎる。すなわち、苦しさを昇華させる苦し紛れの療法として、いささかの狂気をもって対峙する作者の姿勢が、一気呵成に句の姿として立ち現れたというところか。作者は長年にわたる現代詩の優れた書き手であったが、この一月に亡くなった。享年七十二。俳句は、自分の葬儀の会葬者に句集として手渡すべく、意識的に作句されたもののようだ。詩集ではなくて、なぜ句集だったのだろう。『風のかたみ』(2003・非売)所収。(清水哲男)
April 152009
甕埋めむ陽炎くらき土の中
多田智満子
何ゆえに甕を土のなかに埋めるのか――と、この場合、余計な詮索をする必要はあるまい。「何ゆえに」に意味があるのではなく、甕を埋めるそのこと自体に意味があるのだ。しかし、土を掘り起こして甕をとり出すというのではなく、逆に甕を埋めるという行為、これは尋常な行為とは言いがたい。何かしら有形無形のものを秘蔵した甕であろう。あやしい胡散臭さが漂う。陽炎そのものが暗いというわけではあるまいが、もしかして陽炎が暗く感じられるかもしれないところに、どうやら胡散臭さは濃厚に感じられるとも言える。陽炎ははかなくて頼りないもの。そんな陽炎がゆらめく土を、無心に掘り起こしている人影が見えてくる。春とはいえ、土のなかは暗い。この句をくり返し眺めていると、幽鬼のような句姿が見えてくる。智満子はサン=ジョン・ペルスの詩のすぐれた訳でも知られた詩人で、短歌も作った。俳句は死に到る病床で書かれたもので、死の影と向き合う詩魂が感じられる。それは決して悲愴というよりも、持ち前の“知”によって貫かれている。157句が遺句集『風のかたみ』としてまとめられ、2003年1月の告別式の際に配られた。ほかに「身の内に死はやはらかき冬の疣」「流れ星我より我の脱け落つる」など、テンションの高い句が多い。詩集『封を切ると』付録(2004)所収。(八木忠栄)
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