曇天下で紫陽花が咲きだしました。紫陽花栽培に狂った男の小説を読んだ記憶…。




2003ソスN5ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2752003

 昼酒や真田の里の青あんず

                           井本農一

語は「あんず(杏)」で夏。「真田の里」といえば、智将真田幸村(信繁)などで知られる真田家発祥の地の長野県真田町のことだが、近くの更埴市が杏の名産地であることを考え合わせると、必ずしも真田町で詠まれた句と限定しなくてもよいだろう。なによりも、ゆったりとした句柄に惹かれる。時間軸に真田家三代の歴史を置き、空間には鈴なりの杏の珠をちりばめ、そのなかの一点で、作者が静かに昼の酒を味わっている構図の取り方が、実にさりげなくも巧みと言うべきだ。まだ熟していない「青あんず」には、悲劇のヒーロー・幸村の、ついに一歩及ばず熟することのなかった夢が明滅しているかのようである。そして、いかにも旨そうな酒の味。こんな酒なら、日本酒を飲まない私も、少しは付きあってみたくなった。でも、駄目だろうな。とても、こんなふうには詠めないという自信がある。元来が短気でせかせかした性格だから、とりわけて旅行中などは、なかなかゆったりとその場その場を味わうことができないからだ。次へ次へと、旅程のことばかりが気になるのである。逆に、そんな性格だからこそ、掲句のゆったりした世界に惹かれるということだろう。泰然たる人を見かけると、いつだって、つくづく羨ましいと思ってきた。それこそ、ついに熟することのない私のささやかな夢が、掲句にくっきりと炙り出された格好だ。作者の井本農一は、中世・近世文学、特に俳文学が専門の学者で、『日本の旅人・宗祇』『おくのほそ道をたどる』『芭蕉=その人生と芸術』など多くの著書がある。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


May 2652003

 尺蠖に瀬戸大橋の桁はずれ

                           吉田汀史

語は「尺蠖(しゃくとり・尺取虫)」で夏。パソコン方言(?!)で言うならば、普通の(笑)を通り越した(爆)の句だ。「瀬戸大橋」は見たことがないけれど、先日、その三分の一ほどの長さの明石海峡大橋を眺めてきたばかりなので、句集をめくっているうちに、句が向こうから飛び込んできた。瀬戸大橋の構想は既に明治期にあったそうだが、架橋によって発生した諸問題はひとまず置くとして、人間というのは何とどえらいことを仕出かす生き物なのだろうか。というのが、明石大橋を間近に見ての実感だった。この句に企んだような嫌みがなく素直に笑えるのは、作者がまず、そのどえらいこと自体に感嘆しているからだ。全長約10キロに及ぶ長い橋に体長5センチほどの「尺蠖」を這わせて長さを測らせるアイデアは、簡単に空想はできても、空想だけでは「桁はずれ」とは閉じられない。なぜなら、「桁はずれ」とはあまりに出来過ぎた言葉だからだ。空想句の作者だと、そのことがひどく不安になり、なんとか別の言葉で少しでもリアリティを持たせようとするだろう。が、掲句の作者は堂々と「桁はずれ」とやった。大橋のどえらさを、実感しているからこその措辞である。このどえらさを前にしては、出来過ぎも糞もあるものか。そんな心持ちが伝わってくる。あるいは読者のなかには、「桁はずれ」に「(橋)桁外れ」の黒いユーモアを読もうとする人もありそうだが、そこまで斟酌する必要はないだろう。直球一本句として読んだほうが、よほど愉快だ。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


May 2552003

 辞する背に消さる門灯梅雨寒し

                           後藤雅夫

雨のまっただ中で掲句を読むのはいかにも鬱陶しいので(つまり、それほどの力がある句なので)、いまのうちに掲げておきたい。既に梅雨入りした地方のみなさまには、すみません。その家を辞して、わずかばかり歩いたところで、背後の「門灯」がふっと消えた。ただそれだけのことなのだが、ちょっとイヤな気分だ。もしかすると、自分は歓迎されざる客だったのではないか。調子に乗って長居し過ぎてしまったのではないか。だから、家の人がせいせいしたと言わんばかりに、まだ自分を照らしているはずの門灯を情け容赦なく消したのではないか。そんな思いが心をよぎって、いよいよ梅雨の寒さが身にしみる……。いや逆に「梅雨寒」の暗い夜だからこそ、そうした余計な猜疑心が湧いてきたのかもしれない。先方は、ちゃんとタイミングを計ったつもりで、他意無く消しただけなのだろう。などと、たった一つの灯が早めに消えたことでも、人はいろいろなことを感じたりする。かつての編集者時代を自然に思い起こして、つくづく人の気持ちの不思議さ複雑さを思う。いまのようにファクシミリもメールもなかった頃には、とにかく著者のお宅にうかがうのが重要な仕事の一つだった。夜討ち朝駆けなんてことも、しょっちゅうだつた。著者自身はともかくとして、家の人には迷惑千万のことが多かったろう。明らかに悪意を込めて応対されたことも、あった。玄関を出た途端に、パチンと明かりを消される侘しさよ。著者よりも、まず奥さんに気に入られないと仕事にならない。仲間内で、よくそんなことを言い合ったものだ。文壇三悪妻、画壇三悪妻などと陰口を叩いて溜飲を下げたつもりの若き日に、掲句が連れて行ってくれた。脱線失礼。『冒険』(2000)所収。(清水哲男)




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