May 282003
蟻地獄ことのあとさき静かなる
杉浦恵子
季語は「蟻地獄」で夏。蟻などの小さな昆虫を捕らまえて食べることから、この名がついた。こやつは幼虫(成虫が薄羽蜉蝣)ながら、まことに無精にしてずる賢さに長けた虫だ。などと安易に擬人化してはいけないのだが、とにかく砂地に適当に穴を掘って、日がな一日じいっと獲物が落ちてくるのを待っている。昔は、縁の下などでよく見かけたものだ。句の「こと」は、獲物を引っかけた直後に起こる惨劇を指しており、なるほどその「あとさき」は何事もなかったように不気味に静まりかえっている。直接的には、この解釈でよいだろう。が、句はここで終わらない。惨劇を「こと」とぼかしたことにより、この「こと」について読者が自在にイメージをふくらますことができるからである。それでなくとも蟻地獄という言葉自体が連想を呼びやすく、加えて「こと」のぼかしなのだから、たとえ意識を直接的な出来事だけに集中したとしても、イメージはおのずからふくらんでしまうと言うべきか。つまり、読者は自然に虫の世界の出来事から浮き上がって、程度の差はいろいろあるにしても、人間世界のあれこれに思いが至ってしまうのだ。作者が、どこまでこの構造を意識して詠んだのかは知らない。が、そんなこととは無関係に、掲句は、いやすべての俳句は、このようにして勝手にひとりで歩いていく。『旗』(2002)所収。(清水哲男)
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