これからの天気予報では折り畳み傘くらいは持って出ろなどと言う。余計なお世話。




2003ソスN6ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0662003

 ぼうたんの夢の途中に雨降りぬ

                           麻里伊

語は「ぼうたん(牡丹)」で夏。やわらかい句だ。このやわらかさには、ホッとさせられる。作者が牡丹の夢を見ているのか、あるいは牡丹そのものが夢見ているのか。助詞「の」の解釈次第で、二通りに読める。どちらだろう……。などと考えるようでは、俳句は読めない。この二通りの読みが曖昧に重なっているからこそ、句のやわらかさが醸し出されてくる。いずれかに降る雨だとすれば、甘すぎる砂糖菓子のようなヤワな句になってしまう。すなわち、「の」の曖昧な使い方が掲句の生命なのである。先日の「船団」と「余白句会」のバトル句会に思ったことの一つは、詩人は句作に際して、言葉の機能を曖昧に使わないということだった。イメージを曖昧にすることはできても、言葉使いを意識して曖昧にはできないのだ。だから、どうしても「何が何して何とやら」みたいな句になってしまう。対するに、掲句は「何やらが何して何である」という構造を持つ。ポエジー的には、どちらが良いと言う問題ではない。三つ子の魂百まで。両者の育ちの違いとでも言うしかないけれど、掲句のように言語機能の曖昧な使い方を獲得しないかぎり、自由詩の書き手が俳句で自在に遊ぶところまでは届かないのではあるまいか。むろん、他人事じゃない。私にとっても、現在ただいま切実な問題なのである。『水は水へ』(2002)所収。(清水哲男)


June 0562003

 芸大の裏門を出てラムネ飲む

                           永島理江子

語は「ラムネ」で夏。大学とは限らず、どんな裏門にも、正門とは違った姿がある。そして、その姿には例外なく隙(すき)がある。正門は常に緊張していて隙を見せないが、裏門はどことなくホッとしているようで、力が抜けている。だから、裏門を通って外に出ると、人もまたホッとする。不思議なことに、正門から出たときにはあまり振り返ったりしないものだが、裏門からだと、つい振り返りたくなる。裏門は油断しているので、振り返ると門の中の真実が見えるような気がするからだ。実際、振り返ると、「ああ、こんなところだったのか」と合点がいく。そこで作者はホッとして、ラムネを飲んだというわけだ。何かクラシカルなイベントでも見てきたのだろう。クラシックなイメージの濃い「芸大」に対するに、ポップな「ラムネ」。学問としてのアートに対して、庶民の生んだアート。作者は自分の行動をそのまんま詠んだのだろうが、図らずもこんな取り合わせの面白さが浮き上がってきた。べつに「芸大」でなくたって同じこと、と思う読者もいるかもしれない。でも、たとえばこれを「東大」などに入れ替えてみると、どうなるだろうか。今度は、学問的知対庶民的知という格好になって、句がいささか刺々しくなってくる。どこかに、いわゆる象牙の塔に対する庶民の意地の突っ張りみたいなニュアンスが出てきてしまう。やはり、ラムネ飲むなら芸大裏がいちばんなのだ。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)


June 0462003

 老鶯をきくズロースをぬぎさして

                           辻 桃子

語は「老鶯(ろうおう)」で夏。年老いた鶯のことではなくて、夏になっても鳴いている鶯のことを言う。物の本に「その声やや衰ふ」ことからの命名とあるが、そうとも限らない。数年前の盛夏、京都・宇治の多田道太郎邸で余白句会を開いたときには、庭先まで来て実に元気な声で鳴いていた。しかし、掲句の場合には、やや衰えた感じの鳴き声のほうが似あいそうだ。思いもかけぬときに、どこからかかすかに鶯の声が聞こえてきた。ちょうど「ズロース」をぬぎかけていたのだが、思わずも手を止めてじっと耳傾けてしまったというのである。誰かに見られていたら、まことに妙な格好のままなのだけれど、むろん周囲には誰もいない。これが、たとえば料理や洗濯の最中のことであっても、俳句にはなるだろう。なるけれども、面白味には欠けてしまう。やはり、妙な格好であるからこそのリアリティの強さが、掲句の魅力だ。そしてこの生臭くも滑稽な句のイメージは、この句だけにとどまらず、人がひとりでいるときの様態一般に及んでいる。そこが素晴らしい。誰もが一瞬アハハと笑い、でも我が身に照らして、必ずしも笑ってすまされる句ではないことに気がつくからだ。掲句とは逆に、ひとりでいることを意識的に利用した詩に、片岡直子の「かっこう」がある。「誰もいないへやで/私だけいるへやで//私は素敵なかっこうをしてみます//足をたくみにからませて/のばしてみたり/折ってみたり//手も上手についてみます//そうして うつろな眼を壁になげます//いろんなかっこうをしてみます//君はどんなかっこうがすきですか?」。これまた、アハハと笑うだけではすまされない。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます