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2003ソスN7ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0172003

 兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花

                           正木ゆう子

先あたりに、新聞が配達される家なのだろうか。庭の隅には、紫陽花が今を盛りとかたまって咲いている。今日もまた、いつもと同じ時間に夕刊が配達されてきた。しかし、いつも待ちかねたように夕刊を広げていた兄は、もうこの世にはいないのだ。いつもと同じように夕刊は配達されてくるが、いつもと同じ兄の姿は二度と見ることは出来ない。なんでもない日常、いつまでもつづくと思っていた日常を失った寂しさが、じわりと心に「濃紫陽花」の色のように染み入ってくる。夕刊は朝刊に比べると、一般的にニュース性には欠けるエディションだ。昼間の出来事を伝える役割だから、よほど大きな事件があっても、それまでに他のメディアや人の話から、大略のことは承知できているからである。したがって、朝刊のように目を瞠るような紙面は見当たらないのが通常だ。だから、夕刊のほうがより安定した日常の雰囲気を持っていると言える。その意味で、掲句の夕刊は実によく効いている。作者はこの兄(俳人・正木浩一)とはことのほか仲良しであり尊敬もしていたことは、次の一句からでもよくわかる。「その人のわれはいもうと花菜雨」。また「帰省のたびに、私は兄とそれこそ朝まで俳句について語り合ったものだ」とも書いているから、俳句の手ほどきも受けたのだろうし、後年には良きライバルであったのだろう。亡き兄のことを思い出しつつ、作者は投げ込まれたままの白い夕刊に目をやっている。だんだん、夕闇が濃くなってくる。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


June 3062003

 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る

                           中村草田男

語は「蜥蜴(とかげ)」で夏。昔は、そこらへんにいくらでもいた。スルスルッという感じで走ってきては、ひょいと立ち止まり、ときに周囲を見回すような仕草をする。警戒心からなのだろうか。掲句は、この蜥蜴の様子を知らないとわかりにくい。はじめての子供の誕生の報せを受けた作者は、道を歩いている。いよいよ父親になったのかという思いで、あらかじめこの時が来ることを承知はしていても、なんとなく落ち着かない気分だ。実際、私の場合もそうだった。落ち着けと自分に言い聞かせても、意味もなくあちこちと動き回りたくなる。慌てたって仕様がないのだけれど、頭の中は混乱し、胸は動悸を打ち、やたらに「責任」だとか「自覚」だとかという言葉ばかりが浮かんでくる。果ては、まだ見ぬ我が子が成人になるときに、私は何歳だろうかなどと埒もない計算までしてしまったていたらく……。つい、昨日のことのように思い出す。このときの作者だとて、心中は同じようなものだろう。そんな作者が、とにかく意味もなくパッと止まる。と、視野にある蜥蜴もパッと止まった。そしてお互いに、周囲を見回す。夏の真昼のこの図には、作者の苦笑が含まれてはいるが、第三者である読者からすると、むしろ男という存在の根源的な寂しさのようなものが感じられるはずだ。無茶苦茶に嬉しいのだけれど、どこかで手放しには喜べない男というものの孤独の影が。『火の鳥』(1939)所収。(清水哲男)


June 2962003

 ふりかけの音それはそれ夕凪ぎぬ

                           永末恵子

語は「夕凪(ゆうなぎ)」で夏。海辺では、夏の夕方に風が絶えてひどい暑さになる。瀬戸内海の夕凪はとくに有名で、油凪といういかにも暑苦しげな言葉があるほどだ。私は海の近くに暮らしたことがないので、生活感覚としての夕凪は知らない。若い頃に出かけたあちちこちの海岸での、わずかな体験のみである。ただじいっとしているだけで汗が滲み出てくる、あのべたっとした暑さには、たしかにまいった。たいていは民宿に泊まったから、掲句を読んだ途端に、民宿の夕飯時を思い出してしまった。民宿の夕飯は早い。すなわちまだ明るい時間で、ちょうど夕凪のころだ。当時はどこの民宿に行っても、テーブルに「ふりかけ」の缶がどんと置いてあったような……。出てきたおかずだけでは到底足らない食欲旺盛な若者用だったのか、それとも逆に食欲の湧かない人がなんとか飯を食べるためのものだったのか。冷房装置なんて洒落たものはなかったから、じっとりとした暑さのなかでの食事はたまらなかったなあ。句はそんなたまらなさを、さらさらした「ふりかけの音」との対比で表現している。触覚ではなく聴覚を持ちだしてきたところが面白い。センスがいい。しかし、いかに音がさらさらしていたところで、本当に「それはそれ」でしかないのであり、げんなりしている作者の様子が目に浮かぶようだ。可笑しみが、そこはかとなく漂ってくる。『ゆらのとを』(2003)所収。(清水哲男)




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