さしたる願い事も無し。どこかのメディアで高齢者願い事特集をやってくれないか。




2003ソスN7ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0772003

 今年より吾子の硯のありて洗ふ

                           能村登四郎

日は陽暦の七夕。七夕の前日に、日ごろ使っている硯(すずり)や机を洗い清める風習から、季語「硯洗(すずりあらい)」が成立した。ただし、季節は七夕とともに秋に分類されるのが普通だ。このあたりが季語のややこしいところで、梅雨期の七夕はいただけないにしても、現実には保育園や幼稚園、学校などの七夕は今日祝うところが大半だろう。陰暦の七夕だと、夏休みの真っ最中ということもある。私は戦時中から敗戦後にかけての小学生だけれど、学校の七夕行事はやはり陽暦で行われていた。すなわち、陽暦七夕の歴史も短くはない。だから、私たちのイメージのなかで七夕が夏に定着してもよさそうなものだが、どうもそうじゃないようだ。いま行われている平塚の七夕祭などはむしろ例外で、仙台をはじめ大きな祭のほとんどは陰暦での行事のままである。やはり、梅雨がネックなのだろう。私が小学生のころは、風習どおり前日にはきれいに硯を洗い、七夕には早く起きて、畑の里芋の葉に溜まった朝露を小瓶に集めて登校した。この露で墨を擦って短冊を書くと、なんでも文字がとても上手になるという先生のお話だったが……。さて、掲句では、子供がまだ小さいので父親が洗ってやっている。洗いながら「吾子」も自分の硯を持つようになったかと、その成長ぶりを喜んでいる。控えめで静かな父親の情愛が感じられる、味わい深い句だ。実際、学校に通う子は学年が上がる度に新しい道具が必要になる。それを見て、親は子供の成長を認識させられる。私の場合には、娘が水彩絵の具とパレットを持ち帰ったときに強く感じた。あとはコンパスとか分度器とか、すっかり忘れていた算数の道具のときも。いずれも「どれどれ」と手に取って、しげしげと眺めた記憶がある。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


July 0672003

 乳いろの水母流るるああああと

                           吉田汀史

語は「水母(くらげ・海月)」で夏。もしも「水母」が鳴くとしたら、あるいは啼くとしたら、なるほど「ああああ」でしかないように思える。「ああああ」は「ああ」でもなく「あああ」でもなく、人間にとっての究極的かつ基本的な絶望感の表現に通じている。おのれの弱さ、無力を自覚させられ、絶望の淵に沈み込んだとき、言葉にならない言葉、言葉以前の言葉である「ああああ」の声を発するしかないだろう。その意味では、この「ああああ」は、逆に言葉を超えた言葉でもあり、あらゆる言葉の頂点に立つ言葉だとも言える。水母の身体の98パーセントは水分であり、寿命の短い種類だと誕生後の数時間で死んでしまうという。まことにはかなくも希薄な存在だ。そんな水母が波に漂い翻弄され、「ああああ」と声をあげている様子は哀切きわまりない。多くの水母は、実は自力で泳いでいるのだけれど、私たちにはそうは見えない。また、獰猛としか言いようのない肉食生物なのだが、そうも見えない。見えないから、私たちには「ああああ」の声が自然に聞こえてきてしまうのである。となれば、たとえば反対に、水母から見た人間はどうなのだろうか。私たちは自力で歩いているのだが、彼らにはただ風に漂い翻弄されているだけと映るかもしれない。それも、やはり「ああああ」と啼きながら……だ。句からは、水母のみならず、生きとし生けるものすべてが「ああああ」と流されていく弱々しい姿が、さながら陰画のように滲んで見えてくる。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


July 0572003

 外掛けで父を倒せし夏みじかし

                           八田木枯

要があって、このところ父母兄弟姉妹など肉親を詠んだ句を眺めて暮らしていた。すぐに気がついたのは、なかでも父親の句が極端に少ないという事実だった。母親の句は無数にあれど、父句は本当に少ないのだ。それも自分が父親である感慨を詠んだ句が大半で、直接当人の父親を対象にしたものとなると微々たるものと言ってよい。したがって、掲句なども珍重すべき作品である。たわむれに「父」と相撲を取り、生まれてはじめて父親に勝った。しかも「外掛け」だから、勝ったときの父の身体は惨めにも作者の真下にあった。勝ったと言うよりも、倒してしまったというのが実感だ。肉体的にも精神的にも強き者の象徴のような父親が、こんなにも脆かったとは……。あまりにも哀しく複雑な衝撃で、あの年の夏のことは、この相撲のことしか覚えていない。「夏みじかし」と詠んだ所以である。話は遠回りになるが、昨日、二年前に急逝した友人・宮園洋の遺著『洋さんのあっちこち』(れんが書房新社)が届いた。宮園君は優れたイラストレーターであるとともに、多くの詩集などのブックデザインも手がけ、晩年は岡山で活動した。この本には、遺児である姉弟の父親追悼文が栞として挟み込まれており、タイミングがタイミングだっただけに、私はアッと思った。姉の望見さんの文章のタイトル「お父ちゃん、わかっているよ」にはっきりしているように、弟の一文もまた、生前の父を理解していたかどうかにこだわっているのだった。宮園君が子供たちにどんな具合に振る舞っていたのかは知らないが、すなわち、それほどに父親とは理解しにくい存在なのではあるまいか。と、一般論としても言えるような気がしたからだ。掲句に戻れば、このときに作者は間違いなく父親のある側面を理解した。しかし、一度理解したらいつまでも記憶として残るほどに、裏返せば、句は平生の父親を理解するのが困難なことをも示唆している。『あらくれし日月の鈔』所収。(清水哲男)




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