x軸とy軸。これにz軸を設定するとこんがらがる。明後日からの看板に間に合うか。




2003ソスN7ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1972003

 さかづきを置きぬ冷夏かも知れず

                           星野麥丘人

おかたの地方では、今日から子供たちの夏休みがはじまる。しかし、この夏の東京の感覚からすると、とても「暑中休暇」という気はしない。雨模様の日がなおしばらくはつづきそうだし、昼間でも気温はそんなに高くはならないからだ。気象庁の三ヵ月予報では、七月の後半には晴れる日が多く、気温も高いということになっていた。でも、どうかすると窓を開けていると寒い日さえある。ふっと「冷夏」かもしれないと思ったときに、嘘みたいに偶然この句に出会った。機嫌よく飲んでいたのに、それこそふっと「冷夏かも知れぬ」と思った途端に、不安な胸騒ぎを覚えて「さかづき」を置いたというのである。このときの作者の仕事は何だったのかは知らないが、冷夏によって被害をこうむる仕事は多い。最も直接的な打撃を受ける農業関係者はもとより、被服だとか電気製品だとか飲料水だとかの夏物を売る商売の人たち、はたまた観光地で働く人々など、そろそろこの天候には不安の色を隠せないころではあるまいか。消費者だとて、何年か前の米の不作でタイ米を買いに走ったことを忘れてはいないはずだ。だから、持った「さかづき」を置くという行為は、決してオーバーな仕草ではないし、句もまた過剰な表現ではないのである。私ひとりの杞憂に終わってくれればよいのだが……。なお、「冷夏」を独立した季語として扱っている歳時記は少ない。当サイトがベースにしている角川版にもないので、便宜上「夏」の項目のなかに入れておくことにする。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 1872003

 灼けし地にまる書いてあり中に佇つ

                           後藤綾子

語は「灼けし(灼く)」で夏。「砂灼ける」「風灼ける」などとも使う。真昼の炎天下、まったく人通りのない道を通りかかることがある。句の場合は、住宅街の一画だ。道には、まだ涼しい時間に遊んでいた子供が書いたのだろう。石けり遊びか何かの「まる」がぽつんと残されていた。その「中に佇(た)」ってみましたというだけの句だけれど、猛暑の白昼にある作者の精神的な空漠感がよく出ている。子供ならちょっとケンケンの仕草でもしそうな場面だが、大人である作者はただ佇っているのだ。「立つ」よりも「佇つ」のほうには、やや時間的に長いというニュアンスがあり、それが一種の空漠感を連想させる。最初は茶目っ気も手伝って、懐しい「まる」の中に立ってみようとした。が、実際に立ってみると、しばし佇立することになってしまった。と言っても、べつに「まる」の中でおもむろに来し方を回想したり、往時茫々の思いにとらわれたわけではないだろう。第一、暑くてそれどころじゃない。そういうことではなくて、微笑して見過ごしてしまえばそれですんだものを、わざわざ中に入ってみたばかりに、意外な精神状態の変化が起きたということだと思う。ナンセンスと言えばナンセンスな行為によって、ふっと人は思ってもみなかった別世界に連れていかれることがある。暑さも暑し、「まる」の中の作者の心はほとんど真っ白だ。いったいあれは何だったのかと、この句を作りながらも、なお作者は訝っているかのようである。『一痕』(1995)所収。(清水哲男)


July 1772003

 メロン掬ふ富士見え初めし食堂車

                           小坂順子

食堂車
語は「メロン」で夏。「掬ふ」は「すくう」。もう、こんな汽車の旅はできない。現在「北斗星」など一部の特別夜行列車にはあるが、「食堂車」を連結している昼行列車は完全に姿を消してしまった。新幹線から食堂車が無くなったのは、2000年初夏のことである。「のぞみ」には、最初から食堂車もビュッフェもなかった。初期の「のぞみ」に乗ったとき、隣席の人品卑しからぬ初老の紳士から「あのお、食堂車はどこでしょうか」と尋ねられたことを思い出す。句が作られた列車は、在来の東海道線特急だろう。東京大阪間を6時間半で走った。「メロン」は、デザートだろうか。食事も終わりに近づいたところで、富士山が見えてきた。何でもない句だけれど、楽しくも満ち足りた作者の旅行気分がよく出ている。昔の汽車旅行は目的地に着くまでにも楽しみがあった。ゆっくりと流れていく車窓からの風景を眺めながら、食事をする楽しみもその一つ。もっとも、私はいつもビールがメインだったけど(笑)。ただ、街のレストランなどに比べると、料金は高かった。その列車の乗客だけが相手の店なので、無理もないか。いったい、いくらくらいだったのだろう。かなり古い数字だが、たとえば1952年(昭和27年)の特急「つばめ」「はと」のメニューを見ると、こんな具合だ。「ビーフステーキお定食(ビーフステーキ野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 350円」「プルニエお定食(鮮魚貝お料理野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 300円」。ビール大瓶90円、コーヒー50円、サイダー45円、メロンなどの果物は「時価」とある。町で食べるソバが20〜25円のころだったと思うと、うーむ、やっぱり高いっ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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