蜷画搗蜈ャ荳蛾ヮ縺ョ句

July 2172003

 アカンサス凛然として梅雨去りぬ

                           吉村公三郎

アカンサス
かなか明けてくれませんね。長梅雨です。早く明けてくれとの願いを込めての今日の句の作者は、たぶん『偽れる盛装』『夜の河』などで知られる映画監督だろう。季語は「アカンサス」で夏だが、葉が春に咲く薊(あざみ)のそれに似ているので、和名を「葉薊」という。写真で見られるように、葉は薊よりも大きくて猛々しい感じがし、花は真っすぐな穂に咲き登る。そこが「凛然として」の措辞にぴたりと通じている。また、この「凛然として」は、アカンサスの姿の形容であると同時に、梅雨の去り際の潔さにも掛けられているのだと思う。今年のように、いつまでもうじうじととどまっていない梅雨だ。降るだけ降ったら(といっても、今回の九州豪雨のように過剰に降るわけじゃない)さっと引いて、あとにはまったき青空だけを残していく。そんなダンディズムすら感じさせる梅雨も、たしかに何年かに一度はある。ところで、アカンサスの元祖は南ヨーロッパだ。花よりも葉の形状が愛されていたようで、古代ギリシアやローマのコリント式やコンポジット式建築の柱冠の装飾に、アカンサス葉飾りとして図案化されている。そして、この葉飾りを、実は現代日本の私たちも日常的にしばしば目にしていることを知る人は、案外と少ない。手元に一万円札があったら、開いて表裏をよく見てください。上下の縁のところに細長くプリントされている文様が、他ならぬアカンサスなのです。あとは、賞状などの縁飾りにも、よくアカンサスが使われています。『俳句の花・下巻』(1997・創元社)所載。(清水哲男)




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