昨年は高校野球を観に甲子園まで出かけた。今夏はテレビ観戦だ。それもまたよし。




2003ソスN8ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0182003

 礁打つ浪に八月傷むかな

                           秋元不死男

語「八月」は初旬に立秋がある(今年は8日)ので、秋季に分類される。夏から秋にかわる月だ。暑い日が多いとはいえ、中旬ころになると、朝夕にはそこはかとなく秋の気配が感じられるようになる。海の変化はもっと明瞭で、太平洋岸の土用波は言うまでもなく、だんだんと立つ波も荒くなり、海水浴客もめっきりと減ってしまう。作者は岩礁に打ち寄せるそんな荒い「浪」を見ながら、季節が衰微していく気配を色濃く感じている。その気配を「八月傷(いた)む」と言い止めたところが見事だ。季節の活力がピークに達して、それが徐々に傷んでいく宿命は自然全般のものであり、もとより我ら人間とても例外ではありえない。この句を読んだときに、去り行く青春への挽歌と感じた読者も少なくないだろう。詠まれている情景自体は荒々しいが、「八月傷む」と情景が転位され抽象化されたときに、ふっと読者の胸をよぎるのは優しくも甘酸っぱい感傷のはずだからである。ところで、句の「礁」はどう発音すればよいのだろうか。辞書通りに素直に「しょう」と音読みしておいてもよいのだろうが、句としてのリズム感がよろしくない。私としては「巖根(いわね)」か「巖(いわお)」と発音したいところだ。ただ「巖根」や「巖」の文字面だと山を連想させるので、作者はあえて海を意識させる「礁」の漢字を当てたのではないかと、勝手に想像してのことである。平井照敏編『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)

[ ありがとうございます ] 数人の読者から「礁」は「いくり」と読むのではないかとのメールをいただきました。意味は、石。海中の岩。暗礁。古事記下「由良の門(と)の門中(となか)のいくりに」[広辞苑第五版]。古語ですか、どうなんでしょうか、うーむ。


July 3172003

 ふだん着の俳句大好き茄子の花

                           上田五千石

語は「茄子の花」で夏。小さくて地味な花だが、よく見ると紫がかった微妙な色合いが美しい。昔から「親の意見となすびの花は千に一つの無駄がない」と言われるが、話半分にしても、見た目よりはずっと堅実でたくましいところがあるので、まさに「ふだん着」の花と言えるだろう。作者は、そんな茄子の花のような句が「大好き」だと言っている。作者のような俳句の専門家にはときおり訪れる心境のようで、何人かの俳人からも同様の趣旨の話を聞いたことがある。技巧や企みをもって精緻に組み上げられた他所行きの句よりも、何の衒いもなくポンと放り出されたような句に出会うと、確かにホッとさせられるのだろう。生意気を言わせてもらえば、私もこのページを書いていて、ときどき駄句としか言いようのない句、とんでもない間抜けな句に惹かれることがある。それもイラストレーションの世界などでよくある「ヘタウマ」の作品に対してではない。「ヘタウマ」は企む技法の一つだから、掲句の作者のような心持ちにあるときには、かえって余計に鼻についてしまう。純粋無垢な句と言うのも変だろうが、とにかく下手くそな句、「何、これ」みたいな句がいちばん心に染み入ってくるときがあるのだ。私ごときにしてからがそうなのだから、句歴の長いプロの俳人諸氏にあってはなおさらだろう。そしてこのときに「ふだん着」は、みずからの句作のありようにも突きつけられることになるのだから、大変だ。茄子の花のように下うつむいてひそやかに咲き、たくましく平凡に結実することは、知恵でできることではない。「大好き」とまでは言ったものの、「さて、ならば、俺はどうすんべえか」と、このあとで作者は自分のこの句を持て余したのではあるまいか。『琥珀』(1992)所収。(清水哲男)


July 3072003

 統計的人間となりナイターに

                           中村和弘

球には勝率だの打率だのと、いろいろな数字がつきものだ。他のスポーツに比べて、だんぜん多い。「統計」という文字から、作者は球場でそうした数字をあれこれと浮かべながらゲームを楽しんでいる。と、最初は思ったが、どうやらそういうことではないらしいと思い直した。そうではなくて、今夜の入場者数は五万人だとか三万人だとかと言うときの、その統計的数字に自分も入っているという意味だろう。たしかに、同じ目的で集まった何万人もの人のなかにいると、なんとなく自分が無機的な存在になったような気がする。それを称して「統計的人間」と言ったのだと思う。その試合がたまたま歴史に残るような好ゲームだったりすると、あとで「あのときの三万人のなかに俺もいたんだ」と回顧したりするから、決して自嘲的な意味で「統計的人間」と言っているのではないことに留意しておきたい。ところで、掲句の季語はむろん「ナイター」で夏季だが、ドーム球場が増えてきた現在では、だんだん実感が伴わなくなってきた。ドームに季節は関係ないからだ。いつの日かすべての球場がドーム化されてしまえば、この季語も消滅する。そうなると、野球に関連した季語で残るのは一部の歳時記や当サイトで採用している「日本シリーズ」くらいのもので淋しいかぎりだ。野球季語といえば、戦前から戦後しばらくにかけて「(東京)六大学リーグ戦」という季語が歳時記に採用されたことがあるという。村山古郷が1968年に書いた文章から引用しておく。「新季題として登場したが、流行の脚光を浴びることなく、廃れてゆく運命にあるように思われる。句に詠み込むに不適だという点があるのだろうか。現代俳人は『春闘』や『メーデー』を句にする。『ナイター』や『サッカー』が季題として詠まれている以上、『六大学リーグ戦』だけが不適とは思われない。季題として長すぎるというならば、『リーグ戦』と俳句的略称もできる筈だ。にもかかわらず、この季題がほとんど句にされていないのは、不思議である」。あの江川卓が早慶戦に憧れて慶応を受験するのは1977年のことだから、まだ六大学野球の人気が高かったころの文章だ。人気薄のいまなら詠まれないのもわかるが、当時としてはやはり不思議と言わざるを得ない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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