September 022003
鈴虫を放ちわが庭売りにけり
柳田風琴
生活のために「わが庭」を売った。しかし愛惜の情やみがたく、売る前に、飼っていた「鈴虫」をそっと放してやったというのである。このことからだけでも作者の哀感は十分に伝わってくるが、揚句のよさは、売った庭のその後のことをひとりでに読者に想像させてしまうところにある。売ってしまったからには、他人の持ち物だ。現状のまま維持されるわけはない。少なくとも、すぐに境界には柵くらいはたてられるだろう。が、目と鼻の先の庭が、実際にはどのような姿に変貌するのかはイメージできない。たとえ買い手から利用方法を聞いていたとしても、具体的にどうなるのかは想像が及ばない。いったい、この庭はどうなるのか。放してやった鈴虫は、この秋の生命を全うできるのか。そんな作者の不安を、読者も共有することになるのだ。いつだったか、地元では名の通った旧家にお邪魔したことがある。当然のことながら、家全体の造りも古く、玄関を入っただけで大昔にタイムスリップしたような感じを受けた。ちょうど桃の節句のころで、江戸期から伝わるという雛飾りを拝見することができた。まことに気品のあるお雛様を見せていただき、堪能して客間に通されたときに、あっと思った。これほどのお宅ならば、立派な庭を拝見できるだろうと期待していたこともあったので、ショックだった。窓には、視界いっぱいに、隣接したベージュ色の建物の壁面が見えるのみ。察したのか、ご主人が「そこ、去年売っちゃったんですよ」と言われた。『童子珠玉集』(2002)所載。(清水哲男)
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