自民党総裁選。米へのぶら下がり方の違いを選ぶだけ。そろそろ日本も独立しなければ。




2003ソスN9ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0492003

 新涼や二人で川の石に乗り

                           寺田良治

語は「新涼」で秋。句の情景は、川遊びというほどのことではない。山峡などの川辺を歩いていて、ふっと川面からごつごつと露出している「石」に乗ってみただけのことだ。何が「二人」をしてそんな他愛無い行為に走らせたのかと言えば、むろん「新涼」である。夫婦か、恋人同士か、あるいは同性の二人連れだってかまわないのだが、とにかく二人ともどもに稚気溢れる行動に移りたくなるほど、気持ちの良い涼しさに恵まれたということだ。写真で言えば、記念写真ではなくスナップ写真。シャッター・チャンスが巧いので、なんでもないような情景ながら、構えた記念写真などよりもずっと新鮮な印象を与えつづけるだろう。こういう写真を撮れる人、いや、句を作れる人は、とても言語的な運動神経が良い人なのだと思う。上手なカメラマンがそうであるように、被写体の魅力を引き出すコツを心得ている。まずもって、被写体(相手)にある種の先入観を抱いて向き合うようなことはしない。また、相手の意識のうちで、その行為に意味があろうがなかろうが、そんなことにも関心を持たない。待っている瞬間は、ただ一点。すなわち、相手が我を忘れる一瞬だ。そして、この忘我の一瞬は、どんなに意識的な行為の過程にも訪れる。それがたとえ、気取りという極めて意識的な行為の最中にでも、気取りの意識が高揚してくると否応なく露出してくる状態である。そこを逃さずに、パッと切り取る。そして切り取るときには、こちらも忘我。ここが肝心。揚句は、まさにそのようにして切り取られた作品と読める。『ぷらんくとん』(2001)所収。(清水哲男)


September 0392003

 いなびかり生涯峡を出ず住むか

                           馬場移公子

語は「いなびかり(稲光・稲妻)」で秋。何度か書いたと思うが、雨の中でゴロゴロピカッとくる雷鳴に伴う光りとは違う。誤用する人が多いけれど、「いなびかり」は遠くの夜空に走る雷光のことで、音もしないし雨も伴わない。晴れた夜の彼方の空が突然に光るので、不思議な感興を覚える。おそらく、作者三十代の句だ。二十二歳で結婚。わずか四年後の二十六歳のときに夫が戦死し、秩父の生家に戻って養蚕業を継いだ。一日の労働が終わってほっとしたところで、秩父の山の彼方に走る雷光を認めたときの感慨である。ときは敗戦後も間もなくのころだから、秩父辺りだと、東京などの都会に出ていく友人知己も少なくなかっただろう。しかし、私は残る。残らざるを得ない。「生涯」をこの山の中で暮らすことになるだろうと、まだ若い未亡人が我と我が身に言い聞かせているところが、健気であり美しい。そして句のとおりに、移公子(いくこ)は生涯を秩父の山中で過ごしたのだったが、自然の中の生活に取材した佳句を数多く残している。また、時代の変遷も自然の中に曖昧に溶かし込まずに、それはそれできちんと詠み込んである句も多いので好感が持てる。揚句と同じ句集に収められた作品では、「亡き兵の妻の名負ふも雁の頃」、「曼珠沙華いづこを行くも農婦の日」「日雇ひと共に言荒れ養蚕季」など。山国の中での少年時代、私は絶対にこんなところに残るものかと思い決めていただけに、こうした句には弱い。ただただ賛嘆するばかりである。『峡の音』(1958)所収。(清水哲男)


September 0292003

 鈴虫を放ちわが庭売りにけり

                           柳田風琴

活のために「わが庭」を売った。しかし愛惜の情やみがたく、売る前に、飼っていた「鈴虫」をそっと放してやったというのである。このことからだけでも作者の哀感は十分に伝わってくるが、揚句のよさは、売った庭のその後のことをひとりでに読者に想像させてしまうところにある。売ってしまったからには、他人の持ち物だ。現状のまま維持されるわけはない。少なくとも、すぐに境界には柵くらいはたてられるだろう。が、目と鼻の先の庭が、実際にはどのような姿に変貌するのかはイメージできない。たとえ買い手から利用方法を聞いていたとしても、具体的にどうなるのかは想像が及ばない。いったい、この庭はどうなるのか。放してやった鈴虫は、この秋の生命を全うできるのか。そんな作者の不安を、読者も共有することになるのだ。いつだったか、地元では名の通った旧家にお邪魔したことがある。当然のことながら、家全体の造りも古く、玄関を入っただけで大昔にタイムスリップしたような感じを受けた。ちょうど桃の節句のころで、江戸期から伝わるという雛飾りを拝見することができた。まことに気品のあるお雛様を見せていただき、堪能して客間に通されたときに、あっと思った。これほどのお宅ならば、立派な庭を拝見できるだろうと期待していたこともあったので、ショックだった。窓には、視界いっぱいに、隣接したベージュ色の建物の壁面が見えるのみ。察したのか、ご主人が「そこ、去年売っちゃったんですよ」と言われた。『童子珠玉集』(2002)所載。(清水哲男)




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