September 092003
村からす戻り果てや秋の空
神崎与五郎
江戸期の句。我が家の近くにある井の頭公園は、「からす」のねぐらになっている。昼間は大方がどこかに餌を取りに出かけてしまうが、夕刻ともなると三々五々といった感じで戻ってくる。その数、およそ三千羽。想像するだに、物凄い数だ。夜間は人が立ち入らないので、さぞや安心してゆっくりと眠れることだろう。句の「村からす」も同様に、夕焼け空を戻ってくるわけだ。「戻り果(はて)てや」は、すっかり全部が戻ってきたよという意味だろう。他方では農作業を終えた人間たちもそれぞれのねぐらに「戻り果て」、すべて世は事もなし。今日も一日平穏無事であったことへの感懐が、暮れなずむ「秋の空」に滲んでいる。「秋の空」の季語を、黄昏時に設定した句は珍しいと言ってよいのではあるまいか。ところで、作者は赤穂浪士討ち入り組の一人として知られる。主君亡き後に変名を使って江戸に店を出し、吉良邸裏門から屋敷の様子を探りつづけた。俳誌「耕」(主宰・加藤耕子)に浪士たちの俳句や和歌を連載で紹介している木内美恵子さんによれば、与五郎は美作の出身で赤穂藩俳壇三羽烏と言われた。俳号は竹平。そして、この句は大高源五(俳号・子葉)の編んだ『二つの竹』に載せられた作品だという。したがって、句は平穏だった赤穂時代の村里の様子を詠んだものということになる。三百年も昔の静かな赤穂の夕暮れだ。ちなみに、同じく木内さんの紹介による与五郎の辞世のうたは次のようであった。「人の世に道しわかずば遅くとて消ゆる雪にもふみまがふべき」。このとき、与五郎春秋三十九歳。(清水哲男)
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