若林、御園生、藤村弟、…。天沢退二郎さんとは、いつもこの頃の野球の話で飽きない。




2003ソスN9ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1092003

 ふる里は波に打たるゝ月夜かな

                           吉田一穂

が高校生のときだったと思うが、国語の教科書に一穂の「白鳥」が載っていてびっくりした覚えがある。この難解な詩を、どんなふうに教師は教えたのだろうか。私が教師だったら、生徒には素直に「わかりませぬ」と謝るしかない。一穂の難解さは、徹底して日常的な描写を拒否したところにあった。元来、日本語は感覚的情緒的であり、現実を取捨選択して切り抜くのではなく、現実の流れをなぞって行くのに適している。すなわち描写を得意とするわけだが、ならば芸術までがわざわざ「ナメクジ語」(一穂)を使うことはない。あえてそのようにメロディアスな日本語の特性にさからい、言語的な抽象性を目指すときに、はじめて日本語表現は芸術として自立できるのだ。と、これは私なりの雑駁な理解でしかないけれど、揚句にもむろんこうした詩人の方法論が生かされていると読むべきだろう。詩人は芭蕉を敬愛し、「スケッチ文学」の蕪村を嫌った。安易な描写による抒情性を否定した。だが皮肉なことに、この句には彼が蛇蝎の如く嫌った情緒が纏綿といった感じで滲んで見えている。私の考えでは、この句には方法論的に芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」が下敷きにあると思う。「荒海」に対するに「ふる里」、「よこたふ」に「打たるゝ」、そして「天河」に「月夜」。いまある自分の位置からのまなざしや思いの方向が、完全に同一だ。にもかかわらず、一穂句が情緒的に流れて見えるのは何故だろうか。それはおそらく詩人自身がどう反抒情的に句を律したつもりでも、「ふる里」や「月夜」の語彙が既にしてあまりにも抒情の甘さにまみれているからに他ならないだろう。絶対に言えることは、詩人がこの句に託した屹立したイメージは、ほとんど読者には伝わらないのである。いたましきかな。詩集『稗子傅』(1935)所収。(清水哲男)


September 0992003

 村からす戻り果てや秋の空

                           神崎与五郎

戸期の句。我が家の近くにある井の頭公園は、「からす」のねぐらになっている。昼間は大方がどこかに餌を取りに出かけてしまうが、夕刻ともなると三々五々といった感じで戻ってくる。その数、およそ三千羽。想像するだに、物凄い数だ。夜間は人が立ち入らないので、さぞや安心してゆっくりと眠れることだろう。句の「村からす」も同様に、夕焼け空を戻ってくるわけだ。「戻り果(はて)てや」は、すっかり全部が戻ってきたよという意味だろう。他方では農作業を終えた人間たちもそれぞれのねぐらに「戻り果て」、すべて世は事もなし。今日も一日平穏無事であったことへの感懐が、暮れなずむ「秋の空」に滲んでいる。「秋の空」の季語を、黄昏時に設定した句は珍しいと言ってよいのではあるまいか。ところで、作者は赤穂浪士討ち入り組の一人として知られる。主君亡き後に変名を使って江戸に店を出し、吉良邸裏門から屋敷の様子を探りつづけた。俳誌「耕」(主宰・加藤耕子)に浪士たちの俳句や和歌を連載で紹介している木内美恵子さんによれば、与五郎は美作の出身で赤穂藩俳壇三羽烏と言われた。俳号は竹平。そして、この句は大高源五(俳号・子葉)の編んだ『二つの竹』に載せられた作品だという。したがって、句は平穏だった赤穂時代の村里の様子を詠んだものということになる。三百年も昔の静かな赤穂の夕暮れだ。ちなみに、同じく木内さんの紹介による与五郎の辞世のうたは次のようであった。「人の世に道しわかずば遅くとて消ゆる雪にもふみまがふべき」。このとき、与五郎春秋三十九歳。(清水哲男)


September 0892003

 合弟子は佐渡へかへりし角力かな

                           久保田万太郎

語は「角力(相撲)」で秋。九月場所がはじまった。たまにテレビで観る程度だが、いまの相撲にはこうした哀感がなくなったなと思う。いまだって、将来を嘱望されながらも、遂にメが出ずに遠い故郷に戻る男も少なくはないだろう。状況は昔と似たようなものなのに、土俵にセンチメントが感じられなくなって久しい。何故だろうか。1987年、横綱の双羽黒が立浪親方との対立から現役のまま廃業したあたりからおかしくなってきた。廃業して間もない彼に会ったことがあるが、気さくな青年だった。相撲部屋の古色蒼然たる「しきり」に堪えかねたのだろうとは、そのときの私の直感だ。自己顕示欲は人一倍強いと見たが、そりゃそうさ、天下の横綱にまでのし上がった男だもの。そうした相撲界の時代とのズレもあるけれど、哀感が失せた最大の理由を、私はこの世界の裾野の狭さに見ている。狭いというようなものではなくて、もはや限りなくゼロに近いのだ。私の子供のころには、どこの小学校でも土俵を持っていて、私のようなヨワッピーでも、とにかく土俵で相撲を取った体験がある。また、村祭などでも若い衆の相撲大会があって、みんなが相撲の何たるかを心得ていた。だから、プロの相撲取りがどんなに凄いのかが身体的に感じられた。感じられたから、たとえ関取以下のお相撲さんにでも尊敬の念を持つ。逆に体験が無い人には、敬意の持ちようが無い。敬意のないところには、非運に対する思いやりも生まれない。当代の力士には敬意を払われる雰囲気は皆無に近いので、風格なんぞは糞食らえ、勝てばいいんだろみたいな低次元にとどまってしまう。私などには哀しいことだが、きっと近い将来に相撲は滅びてしまうだろう。しかも、誰の涙も無しに、である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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