キム・ノヴァク。この人が出てくるとGIたちがどよめいた。基地の街の映画館での思い出。




2003ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05102003

 足場から見えたる菊と煙かな

                           永末恵子

ういう句は好きですね。高い「足場」に登って見渡したら「菊と煙」とが見えた。ただそれだけのことながら、よく晴れた秋の日の空気が気持ち良く伝わってくる。工事現場の足場だろうか。ただし、登っているのは作者ではない。作者は、登って仕事をしている人を下から見上げている。高いところに登れば、地面にいては見られないいろいろなものが一望できるだろう。あの人には、いま遠くに何が見えているのか。と、ちらりと想像したときに、作者は瞬間的に「菊と煙」にちがいないと思ったのだ。そうであれば素敵だなと、願ったと言ってもよい。菊と煙とは何の関係もないけれど、理屈をつければ菊は秋を代表する花だし、立ち昇るひとすじの煙ははかなげで秋思の感覚につながって見える。でも、こんな理屈は作者の意にはそぐわないだろう。作者は、もっと意識的に感覚的である。だから読者が感心すべきは、見えているはずのいろいろなものから、あえて菊と煙だけを取りあわせて選択したセンスに対してだ。ナンセンスと言えばナンセンス。しかし、このナンセンスは作者のセンスの良さを明瞭に示している。試みに、菊と煙を別のものに置き換えてみれば、このことがよくわかる。むろん私はやってみたけれど、秋晴れの雰囲気を出すとなると、「菊と煙」以上のイメージを生むことは非常に難しい。ただ工事現場を通りかかっただけなのに、こんなふうに想像をめぐらすことのできるセンスは素晴らしいというしかない。羨ましいかぎりだ。もう一句。「秋半ば双子の一人靴をはく」。いいでしょ、このセンスも。『ゆらのとを』(2003)所収。(清水哲男)


October 04102003

 遼陽に夜も更けたる声ひとつ

                           山口和夫

季。「遼陽(りょうよう)」は、中国遼寧省の都市。さきごろ日本領事館の門前で、いわゆる脱北者の女性と子供を中国警官が引き戻す出来事のあった瀋陽の南側に位置する。遼・金時代には東京(とうけい)と称した。さて、いま遼陽と聞いて、ある歴史的なエピソードを思い浮かべられるのは、七十代以上の方々だろう。日露戦争時の最初の激戦地だ。ロシア兵23万、対する日本側は14万。日本軍はロシア側の損害を上回る3万人近い犠牲者を出しながらも、勝利する。まさに両軍、血みどろの闘いだった。このときに戦死した一人が橘周太歩兵第一大隊長で、死後は軍神として崇められ、「軍神橘中佐の歌」までが作られ大いに流行したという。前書も注釈もないが、掲句はおそらく、この歌を踏まえていると読む。「遼陽城頭 夜は闌(た)けて 有明月の 影すごく 露立ちこむる 高梁の  中なる塹壕 声絶えて 目ざめがちなる 敵兵の 肝驚かす 秋の風」。突撃命令が下る前の、寂として声も無い緊張の一瞬だ。そして歳月は流れゆき、現代人の作者ははるかなる古戦場に「声ひとつ」を聞いている。その声は、むろんお国のためにと死んでいった兵士の声でなければならない。それも決して勇ましい鬨(とき)の声などではなく、かそけくも悲哀の淵に沈んだ呻きのような苦しげな声である。時は移り人は代わり、もはや忘れられてしまったかつての大会戦の地に、なおも死者の声だけが彷徨っている……。勇ましい軍神の歌を踏まえつつ、作者は反対に戦争の空しさを訴えているのだ。いちおう無季としたが、遼陽の会戦は1904年(明治37年)八月末のことだったので、作者の意識には秋季があったと思う。『黄昏記』(2002)所収。(清水哲男)


October 03102003

 無花果を煮るふだん着の夕べかな

                           井越芳子

語は「無花果(いちじく)」で秋。無花果は生で食べるのがいちばん美味しいと思うが、煮たり焼いたりする料理法もある。ジャムにする話はよく聞く。ただそういう知識はあっても、無花果を煮たことがないのでよくわからないのだが、なんとなく弱火で煮る必要がありそうな感じがするし、時間がかかりそうな気もする。「ふだん着の」、つまり仕事に出かけない日でないとできない料理でしなかろうか。そう想像すると、秋の夕べの台所に流れる落ち着いた静かな時間が感じられる。「夕べ」というと、働く女性にとってはいつもならばまだ勤務先にいるか、あるいは帰宅途中の時間帯だ。だから、句に流れているような時間は、なかなかに得難い時間なのである。ささやかではあるけれど、休日の幸福で満ち足りたひととき。煮えはじめた無花果の香りが、ほのかに漂ってくる。ところで無花果で思い出したが、世の中には判じ物みたいな苗字があるもので、「九」の一文字、これで「いちじく」と読ませる。この苗字のことを誰かに教えられ、ホンマかいなと思ってずっと以前に調べたときには、東京都の電話帳にちゃんと載っていた。無花果にこだわりがあって、どうしても苗字にしたくて、しかし花の無い果実の表記では縁起が悪いので、窮余の頓智で「九」とつけたのだろうか。明治初期、平民にも苗字をつけることが義務づけられたときのテンヤワンヤには、面白いエピソードがたくさんある。私は「清水」。残念ながら、面白くもおかしくもない。『木の匙』(2003)所収。(清水哲男)




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