A.Hepburn。子供であることを利用して、ナチスレジスタンス活動のレポ役を勤めたことも。




2003ソスN10ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 08102003

 裏山に椎拾ふにも病女飾る

                           大野林火

語は「椎(の実)」で秋。寝たり起きたりの「病女」は、妻ないしは母だろう。今日はよほど気分がよいらしく、裏山に椎の実を拾いにいくと言う。こんなときに、男だったら髭も剃らずに無造作な格好で出かけてしまうところだが、女性は違う。鏡に向かって、念入りに「飾」っている。誰かに会う気遣いもほとんどないのに、しかも短時間で椎の実をいくつか拾ってくるだけなのに……。女性のたしなみというのか、身を飾ることへの執着というのか、作者はその思いの強さに感嘆しているのだ。弱々しい病気の女性と地味な椎の実との取り合わせが、いっそう「飾る」という行為に精彩を与えている。子供のころ、近所に椎の大木があったので、通りがかりによく拾って食べたものだった。物の本には、栗についで美味と書いてあったりするけれど、そんなに美味じゃなかったような記憶がある。当時見た映画に『椎の実学園』というのがあって、肢体不自由児を持つ父親が教員の職を捨て、そうした子供たちだけを集める施設を作り、みんなで励ましあいながら暮らすという話だった。椎の実が熟するには二年もかかるというから、学園名はそのことに由来しているのかもしれない。主題歌があり、歌詞はおぼろげながらメロディはきちんと覚えている。♪ぼくらは椎の実 まあるい椎の実、お池に落ちて遊ぼうよ……と、そんな歌詞だった。でも、映画を見ながら、私は「まあるい椎の実」に引っ掛かった。嘘だと思った。私が拾っていた椎の実に丸いものはなく、いずれもが扁平な形をしていたからである。映画だから嘘もありかな。長い間そう思っていたのだけれど、実は椎の木には二種類あることを、大人になってから知ることになる。私が拾っていた実は「スダジイ」の実であり、映画のそれは「ツブラジイ」の実なのであった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 07102003

 針千本飲ます算段赤のまま

                           櫛原希伊子

語は「赤のまま(赤のまんま)」で秋。蓼(たで)の花。粒状の赤い花が祝い事に出される赤飯に似ているので、この名がついたという。女の子のままごと遊びでも、赤飯に見立てられる。揚句は、そんなままごと時代の思い出だろう。「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ますっ、指切った」と、あれほど固い約束をしたのに、友だちが約束を破った。よし、どうしてこらしめてやろうかと「算段」しながら、友だちを待ち伏せている。明るい秋の日差しのなかで、赤のままが揺れている。あのときは本当に怒っていたのだけれど、今となっては懐かしい思い出だ。何を約束し、どんなふうに仕返しをしたのかも忘れてしまった。久しく音信も途絶えているが、彼女、元気にしてるかなア。子供のときによく遊んだ友だちのことは、喧嘩したことも含めて懐かしい。もう二度と、あの頃には戻れない。ところで、この「針千本」の針のことを、私はずっと縫い針のようなものかと思ってきた。が、念のためにと調べてみたら、どうやら間違いのようである。といって、定説はない。が、縫い針ではなくて、魚のフグの一種とする説が有力だ。その名のとおり、体表にウロコが変化した強くて長い針を持っている。実際には、針は350〜400本程度。普段、針は後ろ向きに寝かせているが、危険が迫ると体をふくらませて針を立たせる。こうなると、ウニやクリのイガのようになってしまい、何者もよせつけない。こんなものを飲まされて、腹の中でふくらまれてはたまらないな。縫い針にせよフグにせよ、現実的には飲めるわけもないが、比喩としては、一度に飲ますことのできそうなフグのほうがより現実的だと言うべきか。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


October 06102003

 栗ひらふひとの声ある草かくれ

                           室生犀星

室義弘『文人俳句の世界』を、ときどき拾い読みする。犀星の他には、久米三汀(正雄)や瀧井孝作、萩原朔太郎などの句が扱われている。掲句も、この本で知った。文人俳句という区分けにはさしたる意味を見出し難いが、強いて意味があるとすれば、彼らが趣味や余技として句を作ったというあたりか。だから、専門俳人とは違い楽に気ままに詠んでいる。しゃかりきになって句をテキストだけで自立させようなどとは、ちっとも思っていない。そこが良い。ほっとさせられる。しかし、これらも昔からのれっきとした俳句の詠み方なのだ。俳句には、こうした息抜きの効用もある。最近の俳句雑誌に載るような句は、この一面をおろそかにしているような気がしてならない。息苦しいかぎり。芭蕉などもよくそうしたように、彼ら文人もまた手紙にちょこっと書き添えたりした。そうした極めて個人的な挨拶句が多いのも、文人俳句の特長だろう。同書によると、この句は、軽井沢の葛巻義敏(芥川龍之介の甥)から栗を送られたときの礼状にある。「栗たくさん有難う。小さいのは軽井沢、大きいのはどこかの遠い山のものならんと思ひます」などとあって、この句が添えられている。そして書簡には、句のあとに「あぶないわ。」とひとこと。受けて、小室は次のように書く。「この添え書は絶妙。これによって、足もとの草に散らばった毬やそれを避けて拾う二、三人の人物の構図がほうふつしてくる。小説風に構成された女人抒情の一句と言ってよい」。つまり、掲句は「あぶないわ。」のひとことを含めて完結する句というわけだろう。五七五で無理やりにでも完結させようとする現代句は、もっとこの楽な姿勢に学んだほうがよろしい。後書きでも前書きでもくっつけたほうが効果が上がると思ったら、どんどんそうすべきではあるまいか。ただし、「○○にて」なんてのでは駄目だ。これくらいに、洒落てなければ。(清水哲男)




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