Deborah Kerr。ハリウッドにスカウトされたときイギリスの損失と言われた貴婦人的美貌。




2003ソスN10ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 16102003

 白粉花の風のおちつく縄電車

                           河野南畦

語は「白粉花(おしろいばな)」で秋。この場合は「おしろい」と読ませている。栽培もされるが、生命力が強いのか、野生のものが多いという印象。それも路地裏などによく咲いており、夕方にしか開かないので、秋の寂しげな暮色とあいまって、そぞろ郷愁を誘われる。昔は夕仕度の煙や匂いが町内にながれ、豆腐屋のラッパが聞こえてきた。そんな路地への、元気な子供たちの登場だ。白粉花を揺らしている冷たい風も、子供たちには関係がない。それを「風のおちつく」と言ったのだろう。「縄電車」は子供の遊びで、輪にした縄の前方に運転手役、後方に車掌役の子が入り、残りの子は乗客の役となって「ちんちん電車(路面電車)」ごっこと洒落る。「電車ごっこ」という文部省唱歌(小学一年用)があったくらいだから、ひところは全国的に隆盛をきわめた遊びだった。♪運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人が電車のお客 お乗りはお早く動きます ちんちん。この歌で注目すべきは「車掌は僕だ」と誇らしげなところ。実際、電車ごっこでは車掌役がいちばん面白い。キップに鋏を入れたり、出発の笛を吹いたり、次の停車駅名をアナウンスしたりと、することが沢山あるからだ。運転手役は先頭にいて一見偉そうなのだが、ただ偉そうなだけで、すべては車掌の指示に従わなければならない。お客に小さな子がいれば、あまりスピードを出せないわけで、それも最後尾の車掌が縄を引いてコントロールする。誰もが車掌になりたがった。あれで、なかなか子供社会も複雑なのだ。「おしろいが咲いて子供が育つ路地」(菖蒲あや)。掲句と合わせて読むと、子供たちに活気のあった時代がいよいよ偲ばれる。『俳句の花・下巻』(1987)所載。(清水哲男)


October 15102003

 渋柿やボクよりオレで押し通す

                           大塚千光史

語は「渋柿・柿」で秋。渋柿の生き方というのも変だけれど、擬人化すれば確かに「ボク」よりも「オレ」のほうがふさわしい。「ボク」には、どこかに甘ったるいニュアンスが含まれている。「押し通す」の渋柿の意地は、作者の生き方とも重なり合っているのだろう。書き言葉にせよ話し言葉にせよ、日本語の人称は種類が多いので、何を使うかによって相手に与える印象も違ってくる。女性の「わたし」と「あたし」との一字違いでも、ずいぶん違う。また、ひところ若い女性に「ボク」が流行ったことがあるけれど、「私」としてはあまり良い印象を受けなかった。男との対等性を主張したい気持ちは理解できたが、張り合う気持ちが前面に出すぎているようで鼻白まされた。書き言葉では「私」しか使わない私も、話し言葉になるとほとんど無意識的に使い分けている。親しい友人知己には「オレ」、目上や初対面の人には「ワタシ」、両親には「ボク」といった具合だ。二人称では「オマエ」「キミ」「アナタ」、あるいは苗字を呼ぶなどして、拾い出してみればけっこう複雑なことをやっているのに気がつく。よく言われるように、単一か二種類くらいの人称しか持たない言語圏の人にとっては、ここにも日本語の難しさがある。人称が多いということは、おのずから自己と他者との関係の多層化をうながし、同時に曖昧化することにもつながっていく。言うなれば、日本語を使う人は、常に他者との距離の取り方を意識している。私はこれを人見知りの言語と呼ぶが、句のように「オレ」一本で押し通すとは、この距離を取っ払うことだ。おのれを粉飾しないということである。といっても、むろん人称の統一化だけで自分を全てさらすわけにもいかないが、その第一歩としては必要な心構えだろう。この問題は、無人称も含めて、考えれば考えるほど面白い。『木の上の凡人』(2002)所収。(清水哲男)


October 14102003

 新米を燈下に検すたなごゝろ

                           久米三汀

語は「新米」で秋。「検す」は「ためす」。農夫が精米し終えた新米の出来具合を、「燈下」で仔細に真剣な目つきで眺めている。品質如何で、この秋の出荷価格が決まるからだ。たぶん、この年の出来には不安があったのだろう。昼間も見て等級にちょっと不安を持ったので、夜にもう一度、こうして念入りに検しているのである。武骨な農夫のてのひらの上の繊細な光沢の米粒との取り合わせが、米作りに生活をかけている農夫の緊張感を静かに伝えて見事だ。私たちの多くは、このように米の一粒一粒を熱心に見つめることはない。また、その必要もない。だから、たまさかこういう句に出会うと、生産に携わる人たちのご苦労に思いをいたすことになる。昔の農村のことしか知らないけれど、米の品質検査の日は、子供までがなんとなく緊張させられたものだった。検査官がやってきて、庭に積んだ俵の山のなかからいくつか任意の俵を選んで調べてゆく。彼は槍状に先をとがらせた細い竹筒を持っており、そいつを無造作に俵にずぶりと突き刺す。すると竹筒の管を通って、なかの米粒が彼のてのひらにこぼれ落ちてくる仕掛けだ。が、たいていの場合に、てのひらから溢れた米粒が地面にばらばらっとこぼれ落ちてしまう。そのたびに、子供の私は「痛いっ」と思った。むろん、親のほうがもっと痛かったに違いない。そんな遠い日の体験もあって、掲句はことのほかに身にしみる。三汀・久米正雄は小説家だから、自分のことを詠んでいるわけではない。が、ここまで微細に感情移入できるのは、農家の仕事に敬意を払う日常心があってこそのことだろう。『返り花』(1943)所収。(清水哲男)




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