Monica Vitti。気だるそうで投げやりな印象が魅力。もう70歳を越えた。元気にしてるかな。




2003ソスN10ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 19102003

 りんご箱りんごの隙の紅い闇

                           日野口晃

そらく、作者は「りんご」の生産農家の人だろう。でなかったら、こんなにじっくりと「隙」まで見ることはしない。昔は籾殻(もみがら)に埋めて出荷したので「隙」は見えなかったが、現在ではパックに詰めるので見えるというわけだ。尻まで紅みのついた完熟りんごを、傷がついていないかを念入りに確かめながら詰めてゆく。詰め終わったら、最後の仕上げに箱詰めにするのだが、このときの句だ。手塩にかけて育ててきたりんごたちを、蓋をする前に、もう一度ていねいに眺めている。さながら画家が描いた絵を手放すときのように、達成感といささかの寂しさとが胸中に交錯し去来するときである。その思いを「紅い闇」にぽっと浮き上がらせたところが、なんとも美しくも素晴らしい。現場の人でなければ、とても思いつかない措辞だろう。愛情が滲み出ている。掲句は、青森県弘前市で開かれた第14回俳人協会東北俳句大会(2003年8月31日)の大会賞受賞作。開催地にふさわしい秀句だ。ところで、いまと違って、昔のりんご箱やみかん箱は木箱だった。だから、本来の用途が終わっても、いろいろに活用された。箱だけでも売られていた。私の場合には、二十歳前までは勉強机や本箱代わり。ちゃんとした自分の机が持てたのは、大学生になってからだった。思えば、ずいぶんと長い間お世話になったものである。そしてまた、現在は「りんご印」のパソコンという箱のお世話になっている。俳人協会機関紙「俳句文学館」(2003年10月5日付)所載。(清水哲男)


October 18102003

 野菊また国家の匂い千々に咲く

                           坪内稔典

語は「野菊」で秋。野菊という種類はなく、野生の菊の総称だ。作者の意識のなかには、むろん皇室の紋章(菊型ご紋・十六弁八重表菊)がある。野菊も仲間だからして、同じように「国家の匂い」がするわけだ。このあたり、ちょっと意表を突かれる。というのも、私たちは通常皇室の紋に匂いを感じることはないからだ。なんとなく無臭というイメージを持ってきているが、言われてみればなるほど、匂ってこその菊の花である。鎌倉期の後鳥羽上皇が愛でたことから天皇家代々の紋として定着したのだそうだが、上皇は当然その匂いへの愛着をも込めて図案化したはずである。それが幾星霜を経るうちに、とりわけて明治以降の天皇独裁制で庶民との関係が完全に切れて以来、紋の匂いも雲の上に消えてしまった。明治以前の京都では、御所の近所を「天皇はんが散歩してはった」と世間話に出るくらいに、まだ庶民との距離は近かったのである。すなわち、この句は野菊の匂いを詠んでいるのだが、逆に天皇家の菊紋の匂いをあらためて読者に想起させることになったというわけだ。そして「千々に」は、「君が代」の歌詞「千代に八千代に」にうっすらと掛けてある。仁平勝に言わせると、坪内稔典の方法は「ひとことでいえば、言葉の属性をすべて利用すること」だが、その通り。掲句も「菊」一語の属性からの連想展開で、これだけの妙な生々しさを出せるところがネンテン俳句の面目なのである。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


October 17102003

 もう逢わぬ距りは花野にも似て

                           澁谷 道

語は「花野(はなの)」で秋。秋の草花の咲き乱れる野のこと。それも、広々とした高原や原野などの自然の野を言う。いかにも文芸的な言葉と言おうか、詩語と言おうか、昔でも口語としては使われなかったのではなかろうか。おそらくは、和歌から発した雅語的な書き言葉だろう。そう思ってきたから、私など無粋者には使いにくい季語の一つだ。「村雨の晴るる日影に秋草の花野の露や染めてほすらむ」(大江貞重・1312年『玉葉集』)。また「距り」は、「きょり」ではなく「へだたり」と読ませるのだろう。このあたりも和歌的な句の感じがするけれど、全体的にも和歌的な雰囲気を湛えた発想だ。片思いの句。恋しいが、逢えば逢うほどつらくなる。そこで「もう逢わぬ」と固く思い決めてはみたものの、やはり後ろ髪を引かれるような気持ちが残る。思い決めてみると、相手とのへだたりは無限に遠くなるはずが、なお「花野にも似て」、すぐにでも引き返せそうなそうでないような曖昧な距離として感じられると言うのだ。広い野に咲く花々は、作者の思慕の念の象徴とも見え、恋の成就ののちの楽しかるべき幸福な時間のそれとも映る。しかしいまそこには、寂しい秋の風が吹き渡っているのだ。「花野にも似て」の連用止めは極めて和歌的で、ここに作者の秋風に揺れ動く花のような寂しさが込められている。女性ならではの美しくも切ない句だと読めた。『縷紅集』(1983)所収。(清水哲男)




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