Anna Karina。『女は女である』など、粋でお洒落でポップで、しかも自然体の演技力。




2003ソスN10ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 22102003

 鬣に残る朝露ライオンショー

                           松崎麻美

語は「朝露・露」で秋。サーカスの「ライオンショー」である。サーカスの実物は、田舎での少年時代に一度見たきりだ。村の共同作業場で開かれて、超満員だった。わくわくしながら見ていたわりには、詳細を覚えていない。それまでには見たこともなかった背の低い男が走り回っていたことと、もう一つは綱渡り。和服で足袋姿の女性が、派手な和傘を広げて私の席のほぼ真上を渡って行ったのだから、これはもう身の危険を感じてハラハラドキドキものだった。覚えているのは、それくらいだ。しかし、動物は何も出てこなかったと思う。人間でさえ食うに困っていたときだから、大きな動物を連れて巡業できたわけもない。いや、その前に戦時中、いわゆる猛獣の類はみな薬殺されており、連れて歩こうにも存在しなかったのだ。というわけで、掲句はむろん現代のサーカスを詠んでいる。出てきたライオンの「鬣(たてがみ)」にまだ「朝露」が残っていると感じたのは、もとより作者の主観によるものだ。そしてこのときに、朝露はライオン本来の持つ野性を読者に思い起こさせる。人に飼われ人を喜ばせるための芸を仕込まれたライオンではあるけれど、それでも野性を完全に失ったのではない。そのことを、作者ははかない朝露に湿った鬣に暗示させている。見せ物としての猛獣を描いて、秀逸な一句だ。ああ、サーカスは哀し。なお、句集では全ての句に作者自身による英訳が付されているので、それも引用しておこう。「a lion on a pedestal/his mane still moist/with the morning dew」。日英語俳句集『海の音 The Sound of the Ocean』(2003)所収。(清水哲男)


October 21102003

 舌噛むなど夜食はつねにかなしくて

                           佐野まもる

語は「夜食」で秋。なぜ「かなし」なのかといえば、夜食は本来夜の労働と結びついおり、夜遊びの合間に食べるというものではないからである。夜遅くまで働かないと生活が成り立たない、できればこんな境遇から逃げ出したい。そんな暮しのなかにあっての夜食は、おのれの惨めさを味わうことでもあった。ましてや「舌噛むなど」したら、なおさらに切ない。虚子にも、夜食の本意に添った「面やつれしてがつがつと夜食かな」がある。現代では早朝から夜遅くまで働きづめの人は少なくなったので、本意からはかなり外れた意味で使われるようになった。したがって、楽しい夜食もあるわけだ。京都での学生時代に、銀閣寺から百万遍あたりを流していた屋台のラーメン屋がいた。深夜零時過ぎころから姿を現わす。学生なんて人種は、勉強にせよ麻雀などの遊び事にせよ、宵っ張りが多いので、ずいぶんと繁盛していた。カップラーメンもなかった時代、むろんコンビニもないから、腹の減った連中が切れ目無く食べに来るという人気だった。いや、そのラーメンの美味かったこと。食べ盛りの食欲を割り引いても、そんじょそこらのラーメン屋では味わえない美味だったと思う。醤油ラーメン一本だったが、その後もあんな味に出会ったことはない。いま行くと、百万遍の交差点のところにちょっとした中華料理店がある。そこの社長が、実はあのときの屋台のおじさんだという噂を聞いたことがあるけれど、真偽のほどは明らかではない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 20102003

 山桜もみぢのときも一樹にて

                           茨木和生

の紅葉は早い。早い地方では九月の終わりころから色づきはじめ、他の樹の紅葉を待たずに早々と散ってしまう。ただ、句の場合は「山桜」だから、どうなのだろうか。子供のころの山の通学路に、それこそ山桜の「一樹」があったけれど、花の季節ならばともかく、紅葉のことなどは何も覚えていない。子供に、紅葉を鑑賞するような風流心はないし、あったら気色が悪い。端正な句だ。かくされているのは「花が咲くときも」であり、こうしてひっそりと年輪を重ねていく山桜の存在感をよく表している。私はこの種の自然のありようを人生の比喩として捉えるのは好まないが、掲句にはおのずからそのように読ませてしまう力が働いているようだ。やはり「一樹」だからだろう。盛りのときも枯れてゆくときも、せんじ詰めれば、しょせんは人も「一人」という思いを誘い出される。二十年も前のことだが、黒衣のシャンソン歌手ジュリエット・グレコが私の番組に出演してくれたことがあった。スタジオの窓からは皇居の紅葉がよく見える季節で、しばらく眺めていた彼女は「あれは私の色よ」と、かすかに微笑した。「私の色、人生の秋の色ね」と繰り返した。さすがにシャンソン歌手らしく上手いことを言うなと感心すると同時に、日本人なら「人生の秋」とまでは誰もが言うけれど、その色(紅葉)までを自分の年齢になぞらえることはしないなとちらりと思った記憶がある。むろんグレコが見たのは山桜の紅葉ではなかったが、掲句を読んで、ふっとそんなことも思い出されたのだった。『野迫川』所収。(清水哲男)




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