Catherine Deneuve。生粋のパリ娘。神代植物公園に彼女にちなんだピンクの薔薇がある。




2003ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102003

 次世代の飢餓など知らん濁り酒

                           鈴木 明

語は「濁り酒」で秋。「どぶろく」の名でおなじみの酒だが、新米を使うことから秋季とされる。昔から今にいたるも、この酒には法律に違反して製造された密造酒が多い。現行の酒税法はだいぶ緩和されてきたとはいえ、まだまだ気楽に作るわけにはいかない。酒類の製造免許を受けないで酒類を製造した場合は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられる。逆に簡単に言えば、税金さえちゃんと払えば製造してもよろしいというのが法律の趣旨だ。それを承知で秘かに作って飲むのだから、本来の味に加えて危険な味もするわけである。アメリカの禁酒法時代が良い例だが、飲み助はどんなことをしたって、飲みたいときには飲む。法律もへちまもあるもんか……、と作者が飲んでいるのかどうかは知らねども、これが普通に酒屋で売っている清酒だったとしたら句にはならない。やはり、どこかに危険な香りがあるから「知らぬ」の語勢が強まるのである。作者は私より三歳年上だけれど、ほぼ同世代と言ってよいだろう。子供のころに飢餓を体験した世代だ。「次世代」にこんな思いだけはさせたくないと、がむしゃらに働いてきて、ふっと世の中を見回してればこの始末。どんな始末かは野暮になるから書かないが、ともかく「次世代」には総じて失望させられることのほうが多い。他方では、そんな「次世代」を作ってしまったこちらが悪いのではないかという複雑な思いもある。どこでどう歯車が狂っちまったのか。同じ濁り酒でも、若き日の島崎藤村は「濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」と書いた。が、こっちにはもはやそんな悠長な時間なんてないんだ。もう、どうなったって知らねえゾと、ひとり寂しく吼えながら飲む作者の気持ちはよくわかる。『白-HAKU-』(2003)所収。(清水哲男)


October 23102003

 松手入梯子の先に人探す

                           星野恒彦

語は「松手入(まつていれ)」で秋。松の木の手入れ。晩秋、新葉が完全に伸び切り古葉が赤くなってくると、古葉を取り去り樹形をととのえ、来年の芽を整備する。非常に難しい作業だそうだ。通りすがりの松の木の下にたくさんの古葉が落ちていたのか、あるいは木の上で鋏の音がしていたのか。思わず作者は、立て掛けてある「梯子」をたどって上にいるはずの「人」を探したと言うのである。それだけのことながら、俳句ならではの作品で面白い。えっ、どこが面白いの、それがどうしたの。そう思う読者もいそうだ。もちろん「それがどうしたの」という世界なのだが、面白いのは詠まれている中身ではなくて、その詠み方である。誰もが日頃ほとんど無意識的に働かせている目の動きを、意識的に言葉にしたところだ。人が目で何かを探すときには、必ず手がかりを求め、それをたぐっていく。この場合は梯子であり、たとえば空飛ぶ鳥を探すときには鳴き声を手がかりにし、美味しそうな匂いをたぐって食物を見つけたりする。すなわち、探す目は手がかりを得なければ働かないメカニズムを持っているわけだ。ま、手がかりがなければ、探そうとはしないのだが……。そのメカニズムの一例を句は具体的に表現して、人の目の働き方万般について述べたのである。面白くないと思う読者がいるとしたら、たぶんここらへんを読もうとしないからだろう。掲句の場合には、一見中身と思えるものは実は句の上っ面なのであって、表面的に読まれると作者は大いに困ってしまう。俳句ならではと言った所以だ。なお余談ながら、手品師は多くこのメカニズムを利用する。或るものを手がかりと思わせておき、客の目線をあらぬ方向に誘導するテクニックに長けている。『邯鄲』(2003)所収。(清水哲男)


October 22102003

 鬣に残る朝露ライオンショー

                           松崎麻美

語は「朝露・露」で秋。サーカスの「ライオンショー」である。サーカスの実物は、田舎での少年時代に一度見たきりだ。村の共同作業場で開かれて、超満員だった。わくわくしながら見ていたわりには、詳細を覚えていない。それまでには見たこともなかった背の低い男が走り回っていたことと、もう一つは綱渡り。和服で足袋姿の女性が、派手な和傘を広げて私の席のほぼ真上を渡って行ったのだから、これはもう身の危険を感じてハラハラドキドキものだった。覚えているのは、それくらいだ。しかし、動物は何も出てこなかったと思う。人間でさえ食うに困っていたときだから、大きな動物を連れて巡業できたわけもない。いや、その前に戦時中、いわゆる猛獣の類はみな薬殺されており、連れて歩こうにも存在しなかったのだ。というわけで、掲句はむろん現代のサーカスを詠んでいる。出てきたライオンの「鬣(たてがみ)」にまだ「朝露」が残っていると感じたのは、もとより作者の主観によるものだ。そしてこのときに、朝露はライオン本来の持つ野性を読者に思い起こさせる。人に飼われ人を喜ばせるための芸を仕込まれたライオンではあるけれど、それでも野性を完全に失ったのではない。そのことを、作者ははかない朝露に湿った鬣に暗示させている。見せ物としての猛獣を描いて、秀逸な一句だ。ああ、サーカスは哀し。なお、句集では全ての句に作者自身による英訳が付されているので、それも引用しておこう。「a lion on a pedestal/his mane still moist/with the morning dew」。日英語俳句集『海の音 The Sound of the Ocean』(2003)所収。(清水哲男)




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