旅行中につき看板は昨日のままとなっております。萩から故郷むつみ村へ立ちより新山口へ。




2003ソスN10ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 27102003

 鶉飛ぶ広い世界を見るでなく

                           笠井 円

語は「鶉(うずら)」で秋。雑誌「俳句」に「17字の冒険者」というページがあって、毎号若手の句を載せており、若い人の感覚や感性が興味深くて愛読している。掲句は発売中の11月号に掲載されていた。作者は1973年生まれというから、ちょうど三十歳だ。鶉はラグビーボールみたいにずんぐりとした体形で、鳴き声も良く、なかなか愛嬌のある鳥である。ただ無精というのか何というのか、この鳥はなかなか飛ぼうとしない。人や犬が近づいてきても、まずはチョコマカと走って草叢のなかに隠れようとする。鳥なんだから飛んで逃げればいいのにと思うが、もはやギリギリに切羽詰まったときでないと飛ぼうとしない。しかも高くは飛ばず、低空飛行だ。それでいて、寒くなると暖かい土地へ長距離移動していくのだから、なんだ、飛ぼうと思えばちゃんと飛べるんじゃないか。句は、そうした鶉の生態をよく捉えていて、面白い。せっかくの羽を持ちながら「広い世界を見るでなく」、ナニ考えてんだろ、こいつらは。そんな趣である。だいたい人間が飛行機を発明したのは、鳥への憧れがあったからだ。あんなふうに高いところを飛んで、広い世界を見てみたいと願ったからである。「鳥瞰」という古くからの言葉もあるくらいで、その憧れには長く熱い歴史もある。だから、もしもこの世の鳥が鶉だけだったとしたら、おそらく飛行機は発明されなかったに違いない。町の自転車屋だったライト兄弟も、ついに自転車屋のおじさんのままで一生を終えただろう。なお近年野性の鶉は減少しているが、飼育種が増えているため、総個体数としては昔と変わらないそうだ。(清水哲男)


October 26102003

 秋入日かちかち山に差しにけり

                           原田 暹

語は「秋入日(秋の日)」。「差しにけり」が秀逸だ。秋の夕日というと、どうしても釣瓶落しに意識が向きがちだが、秋だって夕日はちゃんと差すのである。日差しは夏場よりもずいぶんと弱々しいが、紅葉した山などに差すと、セピア色の写真ではかなわないような得も言われぬ情趣を醸し出す。「かちかち山」は実在しないから、むろん空想句だ。でも作者は、どこかでの実景から発想したのだろう。折しも秋の入日を正面から受けはじめた小さな山をみて、あっ「かちかち山」みたいだと思ったのだ。この誰もが知っている民話(昔話・お伽噺)は、いまどきの絵本などではマイルドに味付けされているけれど、元来は殺し合いの残酷なストーリーだった。いたずら狸を罠にかけ、狸汁にしようと天井から吊るしておくお爺さんからして残酷だし、巧みにお婆さんを騙して殴り殺し「ばばあ汁」をお爺さんに食べさせる狸の残忍さ。そして、お爺さんになり代わって狸をこらしめる白兎も、正義の味方かもしれないが、執拗にサディスティックに狸をいたぶりまくり、ついには泥舟もろとも沈めてしまうという陰湿さ。「かち栗」欲しさに狸が背負わされた柴に火をつけるべく、兎がかちかちと火打ち石を打っていると、狸が聞く。「かちかちって聞こえるけど、何の音だろうね」。「ここが『かちかち山』だからさ」と、兎。そんな会話の後に、転げ回って狸が苦しんだ山。そう自然に連想した作者は、実景のおそらくは名も無き平凡な山にも、数々の出来事が秘められていると感じたのだろう。このときに、赤い入日は民話の日差しとなっている。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


October 25102003

 帰ろかな帰りたいのだ神無月

                           高野 浩

日から「神無月(かんなづき)」に入った。季語としては冬季に分類。もう冬か。この旧暦十月の異称の由来には諸説ある。もっともポピュラーなのは諸国の神々が出雲大社に集まる月というものだが、大昔に「な」は「の」の意だったので、素直に「神の月」と解したほうがよさそうだ。収穫を祝い神に感謝を捧げる月というわけである。句は出雲集合説に拠っており、神々が大移動するのかと思うと、自分もまた久しく帰っていない故郷に帰りたくなったという意味だろう。出雲出身の人なのかもしれない。なんだか北島三郎の歌の文句みたいな句だけれど、駄目押し的な「帰りたいのだ」で、帰心矢の如しの思いがよく伝わってくる。「帰ろかな」の逡巡は生活上の諸般の事情によるものであり、そうした条件を考えなければ、本心は一も二もなく「帰りたいのだ」。この人は、帰っただろうか。さて私事になるが、今夜私は高速バスに乗る。夜通しかけて、山口県の萩市まで行く。明日の中学の同窓会に出るためで、はじまる時間が正午とあっては、バスを使うしか方法がない。今日のうちに新幹線で新山口まで出ておくテもあるけれど、それこそ事情が許さない。一晩中バスに揺られた経験はないが、ま、ヨーロッパあたりに出かけることを思えば同じことだ。むしろ楽だろう。元気なうちに旧友に会っておこうと、逡巡の果てに決めてしまった。私の故郷は、いまは萩市から車だと三十分ほどで行けるようになったそうだ。天気が良ければ、行ってみたいと思う。なにしろ、三十年ぶりの故郷である。天気が悪くても、やっぱり行ってしまうだろうな。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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