ずっと同じ選挙区だった三鷹市と武蔵野市が今回から別れた。なんだか勝手が違う。




2003ソスN11ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 02112003

 さやけしや小さき書肆の大六法

                           山崎茂晴

語は「さやけし」で秋。「爽やか」の項に分類。例外はある。だが、ほとんどの「小さき書肆(しょし)」の品揃えは恣意的と言ってよいだろう。我が家の近くにも小さな本屋があって、たまに入ってみるけれど、棚は目茶苦茶に近い。取次業者の言うままに、売れそうな本を取っ換え引っ換えしていることだけは分かるが、店主の目というものが全く感じられない。これでは日々の仕事に張り合いがないだろうなと、余計なことまで思わされてしまう。作者はたぶん、さしたる期待もなく、そんな小さな本屋に立ち寄ったのだ。で、ひとわたり店を見回しているうちに、なんと「大六法」の置いてあるのが目に飛び込んできた。分厚い「六法全書」だ。店のたたずまいからして、わざわざこの店に六法全書を求めに来る客がいるとも思えない。でも、それは置いてある。毅然として棚に納まっている。思わず、作者は店主の顔を見たのではなかろうか。その店主の心映え、心意気をまことに「さやけし」と、作者は感じ取ったのである。よくわかる。ところで、六法とは具体的にどの法律を指すのか。あらためて問われると、咄嗟には私には答えられない。調べたついでに書いておくと、憲法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法の六つの法律を言う。また大六法・六法全書は、以上の六法をはじめとして各種の法令を収録してある書籍のこと。分厚くなるわけだが、ちなみにこのように各種法令を網羅して一冊にまとめた法律の本は外国には無く、日本独自のものだそうである。『秋彼岸』(2003・私家版)所収。(清水哲男)


November 01112003

 鵯や紅玉紫玉食みこぼし

                           川端茅舎

語は「鵯(ひよどり)」で秋。鳴き声といい飛び回る様子といい、まことにちょこまかとしていて、かまびすしい。そのせわしなさを「食(は)みこぼし」と、たったの五文字で活写したところに舌を巻く。鳴き声にも飛び方にも触れていないが、鵯の生態が見事に浮き上がってくる。しかも「食みこぼし」ているのは「紅玉紫玉」と、秋たけなわの雰囲気をこれまた短い言葉で美しくも的確に伝えている。名句と言うべきだろう。「鵯」で思い出した。辻征夫(俳号・貨物船)との最後の余白句会(1999年10月)は新江戸川公園の集会所で開かれたが、よく晴れて窓を開け放っていたこともあって、騒々しいくらいの鳴き声だった。「今回の最大の話題は、身体の不自由さが増してきた辻征夫が、ぜひ出席したいと言ってきたことで、それならぜひ出席したい、と多田道太郎忙しい日程をこの日のために予定。当日はショートカットにして一段と美女となった有働さんと早くより辻を待つ。その辻、刻ぴったり奥さんと妹さんに支えられて現れる」(井川博年)。このときに辻は、例の「満月や大人になってもついてくる」を披露しているが、兼題の「鵯」では「鵯の鋭く鳴いて何もなし」を用意してきた。合評で「これは鵯じゃなくて百舌鳥だな」と誰かが言ったように、それはその通りだろう。よく生態を捉えるという意味では、掲句の作者に一日ならぬ三日くらいの長がある。が、まさかそのときに辻があと三ヵ月の命数を予感していたはずもないのだけれど、今となってはなんだか予感していたように思えてきて、私には掲句よりも心に染み入ってくる。辻に限らず、亡くなられてみると、その人の作品はまた違った色彩を帯びてくるようだ。『川端茅舎句集・復刻版』(1981)所収。(清水哲男)


October 31102003

 露霜の紅さして母残りけり

                           岸田稚魚

語は「露霜(つゆじも)・秋の霜」。晩秋に降りる露が寒さで凍って半ば霜となり、うっすらと白く見える状態を言う。したがって、「水霜(みずしも)」とも。まだ多くは降りないが、往々にして農作物や草木をいためてしまうことがある。しのびよる冬の前触れだ。先日訪れた中国山脈のどてっぱらに位置する故郷の村でも、露霜が降りるようになったと聞いた。句の露霜は実景ではあろうが、白いものが目立ちはじめた母親の頭の様子にもかけてあるのだろう。父親が鬼籍の人となって日は浅く、そして残された母親にも人生の冬が訪れようとしている。それでも毎朝「紅」をさして、身だしなみをととのえることは忘れない。寒い朝、そんな母を見るともなく見ている作者には、この母こそが自分にとっての「紅」とも思われ、明るくも寂しい気持ちに誘われている。生涯病弱であった作者の履歴を知ると、ますます掲句の切なさが高まってくる。彼は、どんなにか母親に励まされ助けられてきたことだろうか。世に母を思う句はたくさんあるけれど、なかでも掲句は季語と人のありようとが無理なく溶け合っていて、深い感銘を覚える。これぞ、俳句ならではの詩表現と言ってよい。さて、早いもので、今日で十月が終わりますね。あと一週間ほどで立冬(十一月八日)。そして翌日九日の衆院選があわただしく過ぎた頃には、東京あたりでもひっそりと露霜が見られるようになり、だんだん寒くなってくるでしょう。みなさま、どうぞ御身お大切に。『筍流し』(1972)所収。(清水哲男)




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