近鉄ローズが退団し巨人入りは確定的だ。また野球ファンが離れていく。ったく、もう。




2003ソスN11ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 11112003

 風の服つくる北風役の子に

                           富田敏子

語は「北風」で冬。学芸会(と、いまでも言うのかしらん)で北風役を演じることになった子供のために、「風の服」をつくってやっている。どんな内容の劇かは、句からはわからないが、あまり良い役ではなさそうだ。たとえばイソップ物語にある「北風と太陽」の北風のように、どちらかといえば憎まれ役なのだろう。旅人の上衣をどちらがちゃんと脱がすことができるか、という力比べの物語。この話ならば、風の服の色は太陽の赤に対比させて青色にするのだろうが、さて、全体の形はどんなふうにするのか。たぶん西洋の悪魔のファッションにも似て、とげとげしい印象に仕上げるのではなかろうかか。もっと良い役だったらなどと思いながらも、それでもできるだけ舞台映えがするようにと、ていねいに縫っている。そんな事実だけを淡々と詠んでいるだけなのだけれど、いろいろに親心が想像され連想されて飽きが来ない。それに実際につくった体験がないと、虚構ではとても詠めない強さもある。なんということもない句のようだが、作者は俳句の要諦をきちんと心得ている人だ。読者への句のゆだね方をよく承知している。風の服で思い出したが、学芸会で風の役をやった友人がいる。こちらは和風の風の役で、大きな風の袋をかかえて、陰の先生の合図で下手から上手までを一気に舞台を駆け抜けるだけ。演目はたしか『風の又三郎』のはずだったと言うのだけれど、はてな。たしかにあの物語は風が命みたいなものだけれど、いったい彼はどんな場面で飛び出していったのだろう。そして服と袋は、やはり句のように母親につくってもらったのだろうか。今度会ったら、掲句のことを教えて聞いてみよう。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男)


November 10112003

 愚陀仏は主人の名也冬籠

                           夏目漱石

国松山への短い旅から戻ってきました。何をおいても行きたかった道後の子規記念博物館を見ることができ、満足しています。手紙や原稿、書籍などが中心の展示ですから、「見る」というよりも「読む」博物館ですね。そんななかで、唯一と言ってよい見るための展示が、三階に復元された「愚陀仏庵」一階の部屋の模様です。愚陀仏は漱石の別名で、それをたわむれにそのまま下宿先の家の名前とし、ここに病気療養で帰省した子規が転がり込んだことから、記念館に復元されたというわけです。子規が一階の二部屋を使い、漱石は二階。部屋には、火鉢なんかも置いてありました。ちょうど立冬の日で、なかなか芸がこまかい。と思ったけれど、年中置いてあるのかもしれません。撮影禁止なので、写真を撮れなかったのが残念なり。掲句は俳句的にどうのこうのというものではありませんが、記念に載せておくことにしました。はじめて読んだときに「主人」は大家さんのことかと思い、粋な人もいたものだと感心した覚えがありますが、というようなわけで漱石自身のことなのでした。松山を観光地として見たときに、宣伝に寄与しているのは子規はむろんですが、しかし圧倒的には漱石という印象でしたね。漱石の『坊ちゃん』が松山を全国的に知らしめたと言っても、過言ではないでしょう。市内には坊ちゃん列車が走り、道後や松山城などの観光スポットには坊ちゃんやマドンナ、あるいは赤シャツに扮装したガイドが立ち、土産には坊ちゃん団子をはじめ漱石にちなんだものがいろいろとありました。小説の威力、恐るべし。そんな感を深くした駆け足旅行でした。仕事抜きで、もう一度ゆっくりと訪ねてみたい街です。平井照敏編『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 09112003

 さやけしやまためぐりあふ山のいろ

                           かもめ

語は「さやけし」で秋。立冬は過ぎたが、これからしばらくの間、秋と冬の句が混在していくことになる。実際の季節感が秋のようであったり、冬のようであったりと、グラデーション的に寒い季節に入っていく。俳人によっては、もう秋の季語は使わないという人もいると聞くが、そこまで暦に義理を立てる必要はないだろう。是々非々で行く。掲句に目がとまったのは、最近とみに私も、同じような感慨を覚えるようになったからだ。昨年と同じ「山のいろ」にまためぐりあえたというだけで、心の澄む思いがする。まさに「さやけし」である。この心の裏側には、あと何度くらい同じ色にめぐりあえるだろうかという思いがある。いまアテネ五輪に向けての予選がいろいろ行われているが、アテネはともかく、次の北京を見られるだろうか。下世話に言うと、そういう思いと重なる。作者の年齢は知らないけれど、少なくとも若い人ではあるまい。また同じ作者の他の句を見ると「案山子さま吾は一人で立てませぬ」「秋冷の片足で取る新聞紙」などがある。歩行が不自由で、多く寝たままの生活を余儀なくされている方のようだ。だとしたら、なおさらに「まためぐりあふ山のいろ」が格別に身に沁み入ってくる。「案山子さま」という呼びかけ方にも、単なる親しみを越えて、なにか敬意を示したまなざしが感じられる。我が身と同じように人の手を借りて立つ案山子ではあるが、私よりもすっくと凛々しく立っておられる……。御身御大切に。WebPage「きっこのハイヒール」(2003年11月4日付)所載。(清水哲男)




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