[q句

November 20112003

 明日会へる今日よく晴れて冬の空

                           小野房子

号では「子」の字がつくからといって性別を特定しがたいが、掲句の作者は女性だ。川端茅舎の弟子であった。まるで明日遠足がある子供のように、晴れ上がった冬空に期待と喜びを写している。この晴れた冬空の様子が、すなわち作者の今日の心持ちなのだ。明日という日を、よほど待ちかねていたのだろう。ただ遠足の子と違うのは、明日の天気などはどうでもいいというところだ。雨になろうと雪になろうと、会うことができれば心の中は青空だからである。今日の晴れた空さながらの心持ちを、そのまま抱いてゆくことができるからだ。むろん、どなたにも覚えがあるだろう。かと思うと、同じ作者に「すつぽりとふとんかぶりてそして泣く」がある。失恋だろうか、失意だろうか。いずれにしても、これらの句の特長は「すっかり句の中に溶け込んで」(野見山朱鳥)情を述べているところにある。斜に構えるのではなく、いわば手放しに無邪気に詠んでいる。なんとなく子供っぽくさえある。一言で言えば短歌的なのだ。しばしば言われるように、良い恋愛句にはなかなかお目にかかれない。それはやはり短歌(和歌)の分家である俳句が、本家とはできるだけ違う方向を目指してきたが故である。大雑把に言ってしまえば、万葉の昔から短歌作者は短歌そのもののなかでも人生を生きてきたのに対して、多くの俳句作家は俳句のなかで生きることはしていない。いや、そもそも様式上そんなことは不可能なのだ。いっだって、俳句とは現実の人生を写す鏡の破片にしかすぎないのである。したがって、俳句は掲句のようないわば無邪気を詠むことが苦手だ。おそらくそんなことは百も承知で、なお作者はこう詠まざるを得なかった。恋する人の心情はよくわかるけれど、「でもね……」と、俳句様式そのものが何か苦いことを言いたくなるような句であることも間違いない。野見山朱鳥『忘れ得ぬ俳句』(1987・朝日選書342)所載。(清水哲男)




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