多くの映画ソフトには、おまけの映像がついている。なかでも予告編はいつも愉しみだ。




2003ソスN11ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 26112003

 飛騨
大嘴の啼き鴉
風花淡の
みことかな

                           高柳重信

語は「風花」で冬。晴れていながら、今日の「飛騨」は、どこからか風に乗ってきた雪がちらちらと舞っている。寒くて静かだ。ときおり聞こえてくるのは、ゆったりとした「大嘴(おおはし)」(ハシブトガラス)の啼き声だけだ。日本中のどこにでもいる普通の「鴉」にすぎないが、このような静寂にして歴史ある土地で啼く声を聞いていると、何か神々しい響きに感じられてくる。まるで古代の「みこと(神)」のようだと、作者は素直に詠んでいる。かりそめに名づけて「風花淡(かざはなあわ)の/みこと」とは見事だ。地霊の力とでも言うべきか、古くにひらけた土地に立つと、私のような俗物でも身が引き締まり心の洗われるような思いになることがある。ところで、見られるように句は多行形式で書かれている。作者は戦後に多行形式を用いた先駆者だが、一行で書く句とどこがどう違うのだろうか。これには長い論考が必要で、しかもまだ私は多行の必然性を充分に理解しているという自信はない。だからここでは、おぼろげに考えた範囲でのことを簡単に記しておくことにしよう。必然性の根拠には、大きく分けておそらく二つある。一つには、一行書きだと、どうしても旧来の俳句伝統の文脈のなかに安住してしまいがちになるという創作上のジレンマから。もう一つは、行分けすることにより、一語一語の曖昧な使い方は許されなくなるという語法上の問題からだと考える。この考えが正しいとすれば、作者は昔ながらの俳句様式を嫌ったのではない。それを一度形の上でこわしてみることにより、俳句で表現できることとできないことをつぶさに検証しつつ、同時に新しい俳句表現の可能性を模索したと解すべきだろう。掲句の形は、連句から独立したてのころの一行俳句作者の意識下の形に似ていないだろうか。同じ十七音といっても、発句独立当時の作者たちがそう簡単に棒のような一行句に移行できたわけはない。心のうちでは、掲句のように形はばらけていたに違いないからだ。前後につくべき句をいわば恋うて、見た目とは別に多行的なベクトルを内包していたと思う。したがって、高柳重信の形は奇を衒ったものでも独善的なものでもないのである。むしろ、一句独立時の初心に帰ろうとした方法であると、いまの私には感じられる。『山海集』(1976)所収。(清水哲男)


November 25112003

 ジャズ現つ紙屑を燃す霜の上

                           古沢太穂

戦直後の句。寒いので、表で「紙屑」を燃やして手を焙っている。小さな焚火をしているわけだが、当時の都会では、そう簡単に燃やせるものはそこらにはなかった。なにしろ日頃の煮炊きのための薪にも事欠いて、板塀などはもとより天井板や卓袱台まで燃やしていた時代のことである。わずかな紙屑くらいしか、手近に燃やせるものがなかったのだ。そんな侘しい焚火に縮こまって手をかざしていると、どこからか「ジャズ」が聞こえてきた。戦争中、ジャズは敵性音楽として演奏することはもとより聴くことも禁じられていたので、作者には一瞬空耳かという疑念も湧いただろう。が、耳を澄ましてみると、たしかに正真正銘のジャズが「現(うつ)つ」に流れてくる。ラジオからか、それとも誰かがレコードを聴いているのか。もう二度と聞くことはないだろうと思っていた音楽が、こうして町を当たり前のように流れてくるなどは、なんだか夢を見ているような気がする。あえて「現つ」といかめしい文語を使ったのは、そのあたりのニュアンスを強調しておきたかったからだろう。それにしても、ジャズを聴く自由は保障されたけれども、それを十全に享受できる生活は保障されていない。句は、この明暗の対比というよりも、この明暗が入り交じっている混沌のゆえに、なおさら希望が見えてこない時代の「現つ」の相を静かに詠んでいる。このときに「霜」は、単なる自然現象を越えて、庶民の暮らしそのものを象徴しているかのようだ。『古沢太穂句集』(1955)所収。(清水哲男)


November 24112003

 ぶちぬきの部屋の敷居や桜鍋

                           綾部仁喜

語は「桜鍋(さくらなべ)」で冬。馬肉の鍋料理だ。大人数の宴会なので、部屋が「ぶちぬ」いてある。詰め合わせているうちに、運が悪いと「敷居(しきい)」の上の座布団に坐る破目になる。すぐ傍らに敷居があっても、あれはなんとなく気になるものだ。作者の位置は、そのあたりなのだろう。だが、会はお構いなしに進行していく。そのにぎやかな様子を、敷居から連想させたところが巧みだ。「ぶちぬき」という言葉も、威勢が良くてよろしい。東京の新宿御苑近くに、馬肉専門の店があって、ほぼ毎年そこで友人たちと忘年会を開く。もう三十年ほどは続いたたろうか。出版や映画の世界の男たちが主だけれど、なかにはどこでいつどうして知りあったのか、よくわからない友人もいる。本人に聞いてみても、「さあ……」と頼りなくも要領を得ない。それもまた愉し。小さな店だから、二階には八畳ほどの部屋が二間しかない。最初の頃には二十人以上はいたから、部屋はいつもぶちぬきだった。にぎやかを通りすぎて、うるさいくらいだった。それが歳月を経るうちに、亡くなる人もあったり病気がちの奴もでてきたりで、いつしかぶちぬかなくても間に合うようになってしまった。去年まではここに元気に坐ってたのになアと、誰言うとなくつぶやきが洩れてくる。近年は出かけて行くたびに、人生がそうであるように、会にもまた盛りがあることがしみじみと思われる。今年も年末に集まるのだが、何人くらい来られるだろうか。敷居の上の座布団の座り心地の悪さが、いまとなっては懐しいよ。「俳句」(2003年12月号)所載。(清水哲男)




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