December 062003
この頃の漫画わからずひなたぼこ
やなせたかし
作者は「あんぱんまん」などで知られる漫画家だ。その漫画家が、最近の漫画はわからないと言う。とうとう時代についていけなくなったかという哀感と、他方ではわけのわからぬ漫画への怒りの心情もある。その二つの気持ちがないまぜになって、ちょっと世をすねたような「ひなたぼこ(日向ぼこ)」とはあいなった。ただし、事は漫画に限らない。私は一応詩人のはしくれではあるけれど、しばしば「この頃の詩わからず」ということになってきた。たまに批評を求められたりすると、最初から「わかりませぬ」と言ってしまうこともある。そんなときには、句の作者と同じような気持ちになるわけだが、でも「わかりませぬ」ですませてよいのかという自問も絶えずつきまとう。多少の時代遅れは認めるにしても、そのせいだけでわからないとは限らないからだ。作者の漫画観はいざ知らず、私の場合は私のささやかな詩観に外れた作品を読むときに、どうも理解しようとする気力と努力に欠けてきているような気がしてならない。いつの頃からか「お歯にあわねえな」と、ぶん投げてしまう癖がついた。これでは初手から「わかろうとしない」のであって、「わからぬ」のとは別問題ではないか。俗に言う食わず嫌いと同義である。だから最近では、これではいけないと努力して読もうとはするものの、かなりの苦痛を覚えることは覚える。そのうちに、何も苦しがってまで読むこともないかと、やはりぶん投げてしまうことが多い。苦しさの原因は私の場合、本当は詩観の差異から来る部分はあまりなく、若い人の作品にありがちな気負いの生臭さに耐えられないあたりにあるようだ。そんなことに、やっと気がついた。すなわち、これがトシというものなのだろう。江國滋『続 微苦笑俳句コレクション』(1995)所載。(清水哲男)
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