驥手ヲ句アア縺イ縺オ縺ソ縺ョ句

December 11122003

 純白のマスクを楯として会へり

                           野見山ひふみ

語は「マスク」で冬。ぼつぼつ、マスクをしている人の姿が増えてきた。冬ですね。といっても、最近では花粉症の季節にもマスク姿をよく見かけるようになったから、この季語、将来はどうなるのかしらん。さて、作者は身構えて物を言わざるを得ない人に会いに行った。実際に風邪をひいていたのかどうかはわからないが、とにかくマスクを「楯(たて)」のようにして話したというのである。「純白の」に、相手に対する挑戦的な姿勢が強調されている。マスク一つで、心強くなれる人間心理は面白い。マスクに似た効果があるのはサングラスで、あれもかけ慣れると、なかなか外せなくなる。私は若い頃にいっとき、夜でもかけていた。礼儀上外したときなど、別に身構える相手ではないのに、なんだか自分が頼りなく思えて困ったものだった。古風な小説や映画に出てくる怪盗などがしばしばアイ・マスクをして登場するのは、一つには顔を見られたらいけないこともあるが、そのこと以上に、あれはまず自分自身を鼓舞するための道具なのではなかろうか。風邪のマスクに話を戻せば、SARS騒ぎの中国の街で、ほとんどの人たちがマスクをしている映像は記憶に新しい。あの場合はむろん自己鼓舞とは無関係だけれど、あれだけの人々がマスクをしていたら、それまでの人間関係が微妙に変化する部分もあったのではないかと思う。句が言うように、たかがマスクとあなどれないのである。『俳句歳時記・冬』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


November 30112008

 欲しきもの買ひて淋しき十二月

                           野見山ひふみ

聞に折り込まれたチラシに興味がなくなったら、欝(うつ)の前兆だと、かつて聞いたことがあります。特にスーパーの安売りのチラシに目を凝らしているうちは、生きることに貪欲な証拠であり、サラダ油の値段を比較することが、大げさに言うなら、生きることの勢いにつながっているのかもしれません。本日の句に詠まれている「欲しきもの」とは、しかし、もうすこし高価なものなのでしょうか。長年欲しいと思い続けていたものを、決意して買ったあとの、ふっと力の抜けた感覚が、見事に詠まれています。その店を通るたびに、いつかは買おうと思っていたのです。幾度も迷ったあげく、なにかのきっかけがあって、手に入れてはみたものの、心はなぜか満足感に満たされることがありません。むしろ、買いたいと思うものがなくなったことの淋しさのほうが、強く感じられるのです。12月といえば、クリスマスプレゼントや年末の買い物などがあり、また、多くの会社ではボーナスの支給される時期でもあり、「買いて淋しき」という言葉が、素直に結びつきます。街はクリスマスのイルミネーションで明るすぎるほどに輝き、そのまぶしさがいっそう、個人の影を色濃くしているようです。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます