年金課税強化へ。弱者切り捨てがますます加速する。ヒトゴトじゃねえんだ、こっちは。




2003ソスN12ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 12122003

 丞相のことば卑しく年暮るゝ

                           飴山 實

近はあまり見かけない言葉だけれど、「丞相(じょうしょう・しょうじょう)」は昔の中国で、天子を助けて国政を行った大臣のことだ。転じて日本では大臣の異称として用いられるが、句の場合は総理大臣だろう。では、この「ことば卑し」き総理大臣とは、誰をさしているのだろうか。句集の出版年次から推して考えると、中曽根康弘か竹下登に絞られる。彼らの「ことば」の中身についての諸評価はあろうが、二人のうちのどちらが詠まれているにせよ、当たっているように思われる。彼らあたりから首相としての発言のレベルは下がり、品位も下落した。私は歴代総理の政策にはほとんど反対の立場であるが、いまにして思えば、大平正芳や鈴木善幸までは老獪さも含めて、まだマシだった。少なくとも、自分に恥じるような卑しい言葉はほとんど吐かなかった。作者は、一国の宰相ともあろう人物がここまで成り下がったのかと憮然としている。この調子では世の中がどんどん悪くなるだろうと、一年の来し方を振り返って慨嘆しているのだ。抒情句の名手であった作者にしては、出来の芳しくない作品だが、それをおそらくは自覚しつつも敢えて句集に収めた心情は見上げたものだ。俳句は庶民の文芸である。花鳥風月も大いに結構だが、やはり庶民の生活ベースを左右する事どもについても述べておくのは当然だろう。そんな作者の声が聞こてくるような気がする。もしも作者が存命ならば、彼は今回の自衛隊派遣をめぐる一連の小泉純一郎の「ことば」をどう捉え、どう詠んだであろうか。もはや「卑しき」程度のやわらかな形容ではすまさなかったはずである。『次の花』(1989)所収。(清水哲男)


December 11122003

 純白のマスクを楯として会へり

                           野見山ひふみ

語は「マスク」で冬。ぼつぼつ、マスクをしている人の姿が増えてきた。冬ですね。といっても、最近では花粉症の季節にもマスク姿をよく見かけるようになったから、この季語、将来はどうなるのかしらん。さて、作者は身構えて物を言わざるを得ない人に会いに行った。実際に風邪をひいていたのかどうかはわからないが、とにかくマスクを「楯(たて)」のようにして話したというのである。「純白の」に、相手に対する挑戦的な姿勢が強調されている。マスク一つで、心強くなれる人間心理は面白い。マスクに似た効果があるのはサングラスで、あれもかけ慣れると、なかなか外せなくなる。私は若い頃にいっとき、夜でもかけていた。礼儀上外したときなど、別に身構える相手ではないのに、なんだか自分が頼りなく思えて困ったものだった。古風な小説や映画に出てくる怪盗などがしばしばアイ・マスクをして登場するのは、一つには顔を見られたらいけないこともあるが、そのこと以上に、あれはまず自分自身を鼓舞するための道具なのではなかろうか。風邪のマスクに話を戻せば、SARS騒ぎの中国の街で、ほとんどの人たちがマスクをしている映像は記憶に新しい。あの場合はむろん自己鼓舞とは無関係だけれど、あれだけの人々がマスクをしていたら、それまでの人間関係が微妙に変化する部分もあったのではないかと思う。句が言うように、たかがマスクとあなどれないのである。『俳句歳時記・冬』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


December 10122003

 襤褸着て奉公梟に親のゐて

                           ふけとしこ

語は「梟(ふくろう)」。留鳥だから四季を問わないが、冬の夜に聞く鳴き声は侘しくもあり凄みもあるので、冬の季語として定まったらしい。絵や写真で見る梟はどことなく愛嬌のある感じだが、実際は肉食する猛禽だ。鼠なども食べてしまうという。句はそんな生態をとらえたものではなく、あくまでも遠くから聞こえてくる独特な鳴き声に取材している。「襤褸(ぼろ)着て奉公」とは、いわゆる聞きなしだ。昔から人間は、動物の声を地域や聞く立場の差異によって、いろんなふうに聞きなしてきた。梟の声も単にホーホーホホッホホーホーと聞くのではなく、句のように聞いたり、あるいは「五郎助ホーホー」「糊つけて干せ」、なかには「フルツク亡魂」なんて怖いのもある。それでなくとも寂しい冬の夜に、こいつらの声はなお寂しさを募らせる。作者はそれを「襤褸着て奉公」と聞き、ああやって鳴いている梟にも親がいて、お互いに離れ離れの身を案じているのだと哀れを誘われている。スズメやカラスなど日頃よく見かける鳥に親子の情愛を思うのは普通だけれど、夜行性の不気味な梟にそれを感じたのは、やはり寒い季節に独特のセンチメントが働いたからなのだろう。その働きを見逃さず書き留めたセンスや、よし。他の季節であれば、同じように聞こえても、親子の情までにはなかなか思いがいたらない。奉公という雇用形態が実体を失って久しいが、戦後の集団就職は奉公につながる最後のそれだったと思う。中学を卒業してすぐに親元を離れ、町工場などに住み込みで働いた。子供はもちろん送り出した親も、どんなに寂しく心細かったことだろうか。そんな苦労人たちもみな、いまや高齢者の域に入った。そうした人々が読んだとしたら、掲句はとりわけて身に沁み入ることだろう。『伝言』(2003)所収。(清水哲男)




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