俳句の話をする人は多いが、詩の話をする人は少ない。かくいう私も前者になっている。




2003ソスN12ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 15122003

 てっちりや徹頭徹尾吉良贔屓

                           加古宗也

かりし由良之助。じゃなかった、遅かりし掲載日。昨日14日は赤穂浪士討ち入りの日だった(もっとも本来は旧暦での日付だから、一ヵ月ほど先の話だけれど)。ゆかりの赤穂市では、盛大に忠臣蔵バレードなどが行われたことだろう。一方、討たれた側の愛知県吉良町では、恒例の吉良上野介公毎歳忌がしめやかに……。季語は「てっちり」で冬、河豚汁に分類。「鉄ちり」と書き、江戸時代に河豚のことを鉄砲と言ったことから、河豚のちり鍋を言う。河豚は「当たれば死ぬ」ので、鉄砲。駄洒落である。さて赤穂浪士ファンは圧倒的に多いが、なかには作者のような熱烈な吉良ファンもいる。史実を引っ繰り返してみると、吉良は故郷に善政を敷き、庶民とも気楽に会話を交わしたなどの名君の面がある。他方、浪士が忠義立てをした浅野内匠頭はというと、切腹させられたときに地元の農民が赤飯を炊いて喜んだという話も残っている。内匠頭は良く言えば倹約家、悪く言えば大変なケチだったから、地元民に振る舞うようなことはしなかったらしい。句の作者は、吉良町に隣接する西尾市在住の人だ。昨夜あたりはおそらく「義士なんぞとは笑わせやがる」と浪士をボロクソにけなしつつ、旬のてっちりで一杯やったのではあるまいか。「てっちり」と「てっとうてつび」の音の並びが面白く、コト吉良贔屓においては頑固一途の作者像が浮かんでくる。何事につけ贔屓するには最初に動機があるわけだが、高じてくると動機の部分をはるかに越えて何から何まで「徹頭徹尾」好きになってしまいがちだ。あばたも笑窪になるのである。先日の忘年会で早乙女貢の講演を聞きに行ったという友人がいて、「吉田松陰も伊藤博文も大馬鹿呼ばわりボロクソやったで」と話していた。早乙女さんはたしか会津の出身だ。「徹頭徹尾」のクチだろう。(清水哲男)


December 14122003

 大根のぐいと立ちたる天気かな

                           原田 暹

練馬大根
語は「大根」で冬。収穫期から言う。大気は冷たいが快晴、すっきりとして気持ちの良い「天気」である。そんな冬の上天気を、大根畑の様子だけで描ききったところは見事だ。なかなか、こうは詠めない。畑を見たことのない人だと、「立ちたる」の状態がわかりにくいだろう。根菜の知識が災いして、根がすっぽりと地中に埋まっていると思ってしまうからだ。でもたしかに、大根は「ぐいと」立っている。品種にもよるけれど、根の白い部分が地表に出てくるのが普通で、いちばん出るものだと30センチくらいが見える。まさに「立つ」という言い方がふさわしい。作者は関西の人なので、どんな品種の大根だろうか。昨今は圧倒的に雑種が多いそうなので、特定は無理かもしれない。東京の有名な練馬大根も長年雑種に押しまくられていたが、ここのところ復活の動きが活発化してきた。見た目で言うと葉の広がりの大きいのが特徴である。何万年もの昔の富士噴火の灰が降り積もった関東地方の土(関東ローム層)の厚さは、深いところで七メートルほどもあるそうで、根菜類の生育に適している。大根を素材にした料理にもさまざまあるが、私の好物は素朴な味噌汁だ。繊六本に刻んだ大根以外には、何の具も入れない。小さい頃、母がよく作ってくれた。貧しかったので、他の具は入れようもなかったのだろうが……。寒い朝、ふうふう言いながらこいつを食べると、身体の芯から暖まった。写真は練馬区のHP「よみがえれ練馬大根」より借用。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


December 13122003

 白に帰す雪合戦の逸れ玉も

                           泉田秋硯

近はあまり降らなくなったようだが、昔は山口県でも山陰側ではよく雪が降り、よくつもった。大雪で、学校が休みになることもあった。元日の学校の式典に雪を踏んで登校した覚えがあるから、この時期くらいから降り始めていたのではなかろうか。作者は島根県・松江市の出身だ。同じ山陰である。友だち同士での遊びとは別に、体操の時間にもさせられたと自註にあるが、これも同じ。いや、体操の時間以外にも、時間割が急に変更されて校庭に出たこともあったっけ。小学生のときに私はずうっと学級委員長をやらされていて、教師によく聞かれたから覚えている。「清水よ、次の時間は勉強がいいか、それとも雪合戦か」。すると、一瞬教室がしーんとなる。いまの子供ならワーワー言うところだろうが、当時の先生には権威があった。怖かった。教室で騒ぐなどもってのほかと言い含められていたから、勝手に発言しようものなら、せっかくの雪合戦がおじゃんになってしまう。しーんとしたなかで、みんなの期待が私に集まる。実は、私の本音は勉強のほうがよかったのだ。でも、勉強が好きだったわけじゃない。あんな寒いところは、往復二時間の通学路だけでたくさんだと思っていたからだ。といって、みんなが雪合戦をしたいというよりも、勉強をしたくない気持ちのほうが強いのもわかっていたから、いつも「雪合戦のほうがいいです」と答えざるを得なかった。思い返すに、あのころの教師が学級代表である私に時間割変更の同意を求めたのは、子供の意見を尊重したという言質を取っておく必要があったからに違いない。やたらと民主主義が叫ばれ、振り回された時代であった。雪合戦の「逸れ玉」は、落ちるとすぐに周囲の雪と見分けがつかなくなる。作者は、往時茫々の感をその様子に重ねている。私はそれにもう一つ、いつしかどこかに逸れてしまった戦後民主主義なる雪玉も加えておきたいと思う。自解100句選『泉田秋硯集』(2002)所収。(清水哲男)




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