早朝、煙草を買いに出る。枯葉が音を立てて転がっていく。ぽつりぽつりと通勤の人。




2003ソスN12ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 17122003

 牡丹鍋力合せて食ひにけり

                           大串 章

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。イノシシの肉の鍋料理だ。食べると、身体がホカホカする。だいたいが関西から発した料理らしく、東京あたりでは店も少ない。イノシシの生息地と関係があるのだろう。いまでも六甲山麓一帯の住宅地などでは、たまに見かけられるという話だ。句の「力合せて」が上手い。なにせ、相手は全力で猛進してくるイノシシだもの。力を合わせなかったら、みんなぶっとばされちまう。というのは半分冗談だが、半分は本当だ。料理屋などの一人前という量は何を基準にしているのかよくわからないが、少なくとも高齢者の食欲を目安にはしていないだろう。かといって、食べ盛りの若者のそれでもない。あいだを取って二で割ったようなものだから、老人には多すぎるし、若者には少なすぎる。作者は、むろん後者の年代に入る。若い頃ならぺろっと食べられた量が、いまでは持て余すほどだ。いっしょに鍋を囲んでいる連中も、みな同じ。残したって構わないようなものだけれど、なんだかもったいない。とりわけて作者の世代は、敗戦後の飢えを知っている。もったいないと思う気持ちには、単なるケチというのではなく、残したものが捨てられるかと思うと、身を切られるような気がするのだ。そこで誰言うとなく、「よしっ、みんな食っちまおうぜ」ということになった。こうなると、もう味は二の次だ。ひたすら食うことだけを自己目的化して、食いに食いまくる。そして全部を食べ終わったときの満足感たるや、ない。そこから自然に立ち上がってきたのが、「力合せて」の実感である。この滑稽さのなかに漂っているほろ苦い隠し味……。俳誌「百鳥」(2003年3月号)所載。(清水哲男)


December 16122003

 一人身の心安さよ年の暮

                           小津安二郎

のとき(1932年)、小津安二郎満三十歳。『生れてはみたけれど』で映画界最高の名誉であったキネマ旬報ベストテン第一位に輝き、将来を大いに嘱望される監督になっていた。しかも「一人身」とあっては、家庭のあれこれを心配する必要もなく、年末なんぞも呑気なもんだ。我が世の春、順風満帆なり。そんな心持ちの句とも読めるけれど、実は自嘲の句である。いまでこそ三十歳独身などはむしろ当たり前くらいに受け取られるが、昔は違った。変人か能無しと思われても、仕方がなかった。私の三十歳のときですら、まだ同じような世間の目があったほどだ。生涯独身であった小津とても、人並みに異性には関心があった。同じ年の句に「わが恋もしのぶるまゝに老いにけり」があるから、片想いの女性が存在したようだ。が、自身日記に書きつけているように、どうも情熱一筋になれない性格であったらしい。すぐに、醒めた目が起き上がってきてしまう。まことに恋愛には不向きで厄介な気質である。そういえば小津映画は、いつもどこかで画面が醒めている。熱中して乗りに乗って撮ったのではなく、あらかじめ用意した緻密な設計図にしたがって撮った感じを受ける。でも実際には設計図にしたがったわけではなくて、天性の醒めた目に忠実にしたがった結果が独特の世界になったと見るべきだろう。あれが彼の乗っている姿なのだ。そんな醒めた目で自分を見つめるときに、落ち着き先は多く自嘲の沼である。年末なんてどうってことない、気楽なものさ。うそぶく醒めた目は、しかし家庭のために忙しく走り回っている人々を羨ましがっているのだ。都築政昭『ココロニモナキウタヲヨミテ』(2000)所載。(清水哲男)


December 15122003

 てっちりや徹頭徹尾吉良贔屓

                           加古宗也

かりし由良之助。じゃなかった、遅かりし掲載日。昨日14日は赤穂浪士討ち入りの日だった(もっとも本来は旧暦での日付だから、一ヵ月ほど先の話だけれど)。ゆかりの赤穂市では、盛大に忠臣蔵バレードなどが行われたことだろう。一方、討たれた側の愛知県吉良町では、恒例の吉良上野介公毎歳忌がしめやかに……。季語は「てっちり」で冬、河豚汁に分類。「鉄ちり」と書き、江戸時代に河豚のことを鉄砲と言ったことから、河豚のちり鍋を言う。河豚は「当たれば死ぬ」ので、鉄砲。駄洒落である。さて赤穂浪士ファンは圧倒的に多いが、なかには作者のような熱烈な吉良ファンもいる。史実を引っ繰り返してみると、吉良は故郷に善政を敷き、庶民とも気楽に会話を交わしたなどの名君の面がある。他方、浪士が忠義立てをした浅野内匠頭はというと、切腹させられたときに地元の農民が赤飯を炊いて喜んだという話も残っている。内匠頭は良く言えば倹約家、悪く言えば大変なケチだったから、地元民に振る舞うようなことはしなかったらしい。句の作者は、吉良町に隣接する西尾市在住の人だ。昨夜あたりはおそらく「義士なんぞとは笑わせやがる」と浪士をボロクソにけなしつつ、旬のてっちりで一杯やったのではあるまいか。「てっちり」と「てっとうてつび」の音の並びが面白く、コト吉良贔屓においては頑固一途の作者像が浮かんでくる。何事につけ贔屓するには最初に動機があるわけだが、高じてくると動機の部分をはるかに越えて何から何まで「徹頭徹尾」好きになってしまいがちだ。あばたも笑窪になるのである。先日の忘年会で早乙女貢の講演を聞きに行ったという友人がいて、「吉田松陰も伊藤博文も大馬鹿呼ばわりボロクソやったで」と話していた。早乙女さんはたしか会津の出身だ。「徹頭徹尾」のクチだろう。(清水哲男)




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