♪もういくつ寝ると、お正月。残り原稿あと四本。そろそろ追いつめられた気分に…。




2003ソスN12ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 19122003

 年の市何しに出たと人のいふ

                           小林一茶

語は「年の市」で冬。本来は毎月立つ市であるが、正月用品を扱う年末の市は格別に繁盛した。その賑わいの渦の中にいると、いやが上にも押し詰まってきた感じを受けたことだろう。年の市では、どんなものが売られていたのか。平井照敏の『新歳時記』(河出文庫)によれば、『日次紀事』に次のようにあるという。「この月、市中、神仏に供ふるの器皿、同じく神折敷台、ならびに片木・袴・肩衣・頭巾・綿帽子・裙帯・扇子・踏皮、同じく襪線・雪踏・草履・寒臙脂皿・櫛・髪結紙、および常器椀・木皿・塗折敷・飯櫃・太箸・茶碗・鉢・皿・真那板・膳組・若水桶・柄杓・加伊計・浴桶・盥盤、ならびに毬および毬杖・部里部里・羽古義板、そのほか鰤魚・鯛魚・鱈魚・章魚・海鰕・煎海鼠・串石決明・数子・田作の類、蜜柑・柑子・橙・柚・榧・搗栗・串柿・海藻・野老・梅干・山椒粉・胡椒・糊・牛蒡・大根・昆布・熨斗・諸般の物ことごとくこれを売る。これみな、来年春初に用ふるところなり」。ふうっ、漢字を打ち込むのがしんどいくらいに品数豊富だ。さぞや目移りしたことだろう。ただこれらの多くは所帯には必要でも、一茶のような一所不在の流れ者には必要がない。のこのこ出かけていったら、怪訝そうに「何しに出た」と言われたのも当然だ。しかし、何も買わないでも、行きたくなる気持ちはわかる。普通の人並みに、彼もまた年末気分を味わいたかったのである。したがって、「何しに出た」とは無風流な。苦笑いしつつも、一茶は大いに賑わいを楽しんだことだろう。虚子に「うつくしき羽子板市や買はで過ぐ」がある。冷やかして、通りすぎただけ。一茶と同じような気分なのだ。(清水哲男)


December 18122003

 屑買ひがみてわれがみて雪催

                           清水径子

語は「雪催(ゆきもよい)」。冷え込んできて、いまにも雪が降り出しそうな曇天のこと。さながら小津映画にでも出てきそうな情景だ。「屑買ひ」は、いまで言う廃品回収業者。昔は「お払い物はありませんかー」と呼ばわりながら、リヤカーで町内を回っていた。年の暮れは稼ぎ時だったろう。そんな屑屋さんを呼び止めて、勝手口で不要なもののあれこれを渡している図。代金として、なにがしかの銭を手渡しながらでもあろうか。「降ってきそうですねえ」と屑買いの男が空を見上げ、つられて作者も同じような方角に目をやる。いままで暖かい室内にいたので気づかなかったが、言われてみればたしかに「雪催」だ。二人同時に見上げたのではなく、まず「屑買ひがみて」、それから「われがみて」。そうわざわざ書いたところに、手柄がある。この順番は、すなわち寒空の下で仕事をしなければならない人と、そういうことをしなくても生活の成り立つ自分を象徴的に表現しており、しかし自分とても決してご大層な身分ではない。ぼんやりとそんな思いもわいてきて、そこにいわば小市民的な哀感が醸し出されてくる。屑屋さんが去ってしまえば、すぐに忘れてしまうような小さな思いを素早く書きとめた作者は、まぎれもない俳人だ。本当はその場でのスケッチではないにしても、こうしたまなざしが生きる場所としての俳句様式をよく心得ている。中身はなんでもないようなことかもしれないが、俳句に言わせればちっともなんでもなくはないのである。「俳句ってのはこういうものさ」。『鶸』(1973)所収。(清水哲男)


December 17122003

 牡丹鍋力合せて食ひにけり

                           大串 章

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。イノシシの肉の鍋料理だ。食べると、身体がホカホカする。だいたいが関西から発した料理らしく、東京あたりでは店も少ない。イノシシの生息地と関係があるのだろう。いまでも六甲山麓一帯の住宅地などでは、たまに見かけられるという話だ。句の「力合せて」が上手い。なにせ、相手は全力で猛進してくるイノシシだもの。力を合わせなかったら、みんなぶっとばされちまう。というのは半分冗談だが、半分は本当だ。料理屋などの一人前という量は何を基準にしているのかよくわからないが、少なくとも高齢者の食欲を目安にはしていないだろう。かといって、食べ盛りの若者のそれでもない。あいだを取って二で割ったようなものだから、老人には多すぎるし、若者には少なすぎる。作者は、むろん後者の年代に入る。若い頃ならぺろっと食べられた量が、いまでは持て余すほどだ。いっしょに鍋を囲んでいる連中も、みな同じ。残したって構わないようなものだけれど、なんだかもったいない。とりわけて作者の世代は、敗戦後の飢えを知っている。もったいないと思う気持ちには、単なるケチというのではなく、残したものが捨てられるかと思うと、身を切られるような気がするのだ。そこで誰言うとなく、「よしっ、みんな食っちまおうぜ」ということになった。こうなると、もう味は二の次だ。ひたすら食うことだけを自己目的化して、食いに食いまくる。そして全部を食べ終わったときの満足感たるや、ない。そこから自然に立ち上がってきたのが、「力合せて」の実感である。この滑稽さのなかに漂っているほろ苦い隠し味……。俳誌「百鳥」(2003年3月号)所載。(清水哲男)




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