森山直太朗『さくら』に「昭和っぽいですね」と若い女性。昭和も遠くなりにけりだ。




2003ソスN12ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 20122003

 世直しの大門松を立てにけり

                           藤平伊知郎

語は「門松立つ」。以前は今日あたりから立てはじめたものだが、最近ではクリスマス・ツリーに押しまくられた格好で、多くは二十五日以降に立てるようになった。作者は、暗い世相つづきの今年から脱皮して、来年こそは良き年にしたいという願いを込めて立てたというのである。「大門松」に、その意気込みのほどが感じられる。作者のことは何も知らないが、句の勢いからして、この門松は自分で立てたのだろう。山から伐ってきて二日ほど寝かせておいて、という古いしきたり通りに。そうではなくて職人頼みにしたのでは、せっかくの「世直し」への気合いが薄れてしまう。ほとんどの家が人頼みで立てるようになったのは、高度成長期以後のことだ。掲句の大門松をちりとでも贅沢に思った人は、何でも人頼みにする社会に毒されている。他人事ではなく、実は私も最初はそう思ってしまって反省した。ところで、我が集合住宅でも毎年人頼みで立ててもらっている。最初のうちは大人の背丈ほどの大門松だったものが、予算が一定だから、年ごとにだんだん小さくなってきた。止むを得ないことである。が、二年か三年前に、急に大門松が復活した。そこで一悶着が起きた。大きなのが立つやいなや、マンションの理事会に住民からの苦情が殺到したからだ。この不況下で門松の費用を増やすとは何事であるか、理事会の独断専行も甚だしいというわけだ。しかし増やした覚えはないから、理事連中も驚いた。さっそく依頼先に電話をしたのだが、先方は繁忙期とあって要領を得ない。結局は住民の苦情をよそに大門松は涼しい顔で立ちつづけ、取り払われてからやっと事の次第が判明したのであった。何のことはない、先方の単純ミス。むろん、例年通りの支払いで結構ということだった。以来、住民の間にはなんとなく単純ミスを期待する雰囲気があるようである。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 19122003

 年の市何しに出たと人のいふ

                           小林一茶

語は「年の市」で冬。本来は毎月立つ市であるが、正月用品を扱う年末の市は格別に繁盛した。その賑わいの渦の中にいると、いやが上にも押し詰まってきた感じを受けたことだろう。年の市では、どんなものが売られていたのか。平井照敏の『新歳時記』(河出文庫)によれば、『日次紀事』に次のようにあるという。「この月、市中、神仏に供ふるの器皿、同じく神折敷台、ならびに片木・袴・肩衣・頭巾・綿帽子・裙帯・扇子・踏皮、同じく襪線・雪踏・草履・寒臙脂皿・櫛・髪結紙、および常器椀・木皿・塗折敷・飯櫃・太箸・茶碗・鉢・皿・真那板・膳組・若水桶・柄杓・加伊計・浴桶・盥盤、ならびに毬および毬杖・部里部里・羽古義板、そのほか鰤魚・鯛魚・鱈魚・章魚・海鰕・煎海鼠・串石決明・数子・田作の類、蜜柑・柑子・橙・柚・榧・搗栗・串柿・海藻・野老・梅干・山椒粉・胡椒・糊・牛蒡・大根・昆布・熨斗・諸般の物ことごとくこれを売る。これみな、来年春初に用ふるところなり」。ふうっ、漢字を打ち込むのがしんどいくらいに品数豊富だ。さぞや目移りしたことだろう。ただこれらの多くは所帯には必要でも、一茶のような一所不在の流れ者には必要がない。のこのこ出かけていったら、怪訝そうに「何しに出た」と言われたのも当然だ。しかし、何も買わないでも、行きたくなる気持ちはわかる。普通の人並みに、彼もまた年末気分を味わいたかったのである。したがって、「何しに出た」とは無風流な。苦笑いしつつも、一茶は大いに賑わいを楽しんだことだろう。虚子に「うつくしき羽子板市や買はで過ぐ」がある。冷やかして、通りすぎただけ。一茶と同じような気分なのだ。(清水哲男)


December 18122003

 屑買ひがみてわれがみて雪催

                           清水径子

語は「雪催(ゆきもよい)」。冷え込んできて、いまにも雪が降り出しそうな曇天のこと。さながら小津映画にでも出てきそうな情景だ。「屑買ひ」は、いまで言う廃品回収業者。昔は「お払い物はありませんかー」と呼ばわりながら、リヤカーで町内を回っていた。年の暮れは稼ぎ時だったろう。そんな屑屋さんを呼び止めて、勝手口で不要なもののあれこれを渡している図。代金として、なにがしかの銭を手渡しながらでもあろうか。「降ってきそうですねえ」と屑買いの男が空を見上げ、つられて作者も同じような方角に目をやる。いままで暖かい室内にいたので気づかなかったが、言われてみればたしかに「雪催」だ。二人同時に見上げたのではなく、まず「屑買ひがみて」、それから「われがみて」。そうわざわざ書いたところに、手柄がある。この順番は、すなわち寒空の下で仕事をしなければならない人と、そういうことをしなくても生活の成り立つ自分を象徴的に表現しており、しかし自分とても決してご大層な身分ではない。ぼんやりとそんな思いもわいてきて、そこにいわば小市民的な哀感が醸し出されてくる。屑屋さんが去ってしまえば、すぐに忘れてしまうような小さな思いを素早く書きとめた作者は、まぎれもない俳人だ。本当はその場でのスケッチではないにしても、こうしたまなざしが生きる場所としての俳句様式をよく心得ている。中身はなんでもないようなことかもしれないが、俳句に言わせればちっともなんでもなくはないのである。「俳句ってのはこういうものさ」。『鶸』(1973)所収。(清水哲男)




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