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December 22122003

 古暦ひとに或る日といふ言葉

                           長谷川照子

語は「古暦」で冬。昨年の暦という意味ではなく、年もおしつまり、来年の暦が用意されたころの今年の暦を言う。つまり、新しい暦に対する古い暦というわけだ。落語「桃太郎」は、夜遅くなっても寝ない息子の金坊に、親父が昔話をして寝かせてやろうという咄だ。ところがこの金坊はこましゃくれたガキで、いちいち聞き返してくる。「昔々」とやると「いつの時代?」、「あるところに」とつづければ「それどこの国、どこの町、何番地?」といった具合だ。同様に、句の「或る日」などという特定の日もあるわけはないのだが、しかし、「ひと」は「或る日といふ言葉」を持っている。それは、人生のほとんどが、記憶され特記されるに足らない凡々たる日々の繰り返しに過ぎないからだろう。昨日と今日を区別する必要がないのである。残り少なくなった暦に、過ぎ去った今年の日々のことを回想しつつ、作者はあらためて「或る日」としか言いようのない日の連続であったと感じているのだ。「ひと」のみが持つ「或る日」という観念の寂しさよ。にもかかわらず、「或る日」など一日もない暦を吊るして生きる不思議さよ。私の部屋の古暦は「JTB」カレンダー。新しい暦は、ラジオ局でもらった「TOKYO DISNEYLAND」カレンダーです。可愛らしすぎるけど。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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