December 242003
硝子戸に小さき手の跡クリスマス
大倉恵子
偶然に「硝子(ガラス)戸」についている子供の「小さき手の跡」を見つけた。よくあることだが、これを「クリスマス」に結びつけると、途端にある情景が浮かんでくる。サンタクロースの到着を待っている子供が、しきりに「まだかなあ、遅いなあ」と硝子戸の外の暗い夜空を見上げている。そんな情景だ。待ちきれないままに、子供はもうすやすやと眠ってしまった。そのときについたのであろう「小さき手の跡」を見て、作者は微笑しつつ、子供の純真をいとおしく思うのだ。サンタクロースが橇に乗って、世界中の子供たちにプレゼントを配ってまわる。どこのどなたの創案かは知らないが、すばらしいアイディアだ。一年に一夜だけ、夢を現実にかなえてやる。むろん、そのために逆に哀しい思いをする子供もいるわけだが、それもこれもをひっくるめて、このアイディアは子供たちに夢を描くことの喜びを教えてくれる。長じてサンタの存在を信じなくなっても、それは心のどこかに「小さき手の跡」のように残っていくだろう。サンタを商業主義の回し者みたいに言う人もいるけれど、私はそうは思わない。たしかにそうした一面がないとは言えないが、単なる商魂だけではカバーできない魅力をサンタは持っている。そうでなければ、多くがクリスチャンでもないこの国に、子供へのプレゼントの風習が定着するはずがない。新年のお年玉をねらう商魂がいまひとつ伸びを欠くのは、こうした夢の構造を持ち得ないからだろう。私が小さかった頃は戦争の真っ最中で、サンタのサの字もなかった。いまだに残念で仕方がない。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)
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