イギリスではイヴは静かに過ごし、25日に賑やかに騒ぐ。林望がラジオで話していた。




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December 25122003

 賀状書く痴呆かなしき友ひとり

                           細見しゆこう

状を書いているうちに、風の便りに痴呆が進んでいる友人宛のところで手が止まった。彼に、この年賀状が読めるのだろうか。読めたとはしても、差出人が誰かを理解できるのか。あんなに元気だった奴が何故……と、信じられない思いで暗く悲しい気持ちに沈みこむ。だが、やはり作者は例年のように彼に元気よく書いただろう。そう思いたい。たとえわからなくたって、それでよい。それが友情というものではないか。幸い、私には痴呆の友はいない(はずだ)。ただ、毎年のようにポツリポツリと亡くなる友人がいる。今年も、同級生ひとりと若い友人ひとりを失った。パソコンに入れた名簿を見ながら順番に書いてきて、亡くなった人の名前のところで筆が止まる。出そうか出すまいかの話ではなく、もう出してはいけないのだから、暗澹とする。そして元気だったころの姿を思い出すのだが、妙なもので、こういうときに浮かんでくるのは何故か些細なイメージばかりだ。よく赤いセーターを着ていたなとか、そういうことである。もう一つ、焦点が結ばない。そして最も辛いのは、もはや不要となった彼のアドレスを名簿から消去するときだ。パソコンでの操作だから、一瞬で消えてしまう。が、その操作には逡巡が伴ってなかなか踏ん切れない。あらためて電話番号などまで読み直して、それから思い切って消去ボタンを押す。そうすれば、見事に消えてなくなる。しかし、なんだかそのまま通りすぎるのも忍びなくて、また消去作業の取り消しボタンを押してみたりする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


December 24122003

 硝子戸に小さき手の跡クリスマス

                           大倉恵子

然に「硝子(ガラス)戸」についている子供の「小さき手の跡」を見つけた。よくあることだが、これを「クリスマス」に結びつけると、途端にある情景が浮かんでくる。サンタクロースの到着を待っている子供が、しきりに「まだかなあ、遅いなあ」と硝子戸の外の暗い夜空を見上げている。そんな情景だ。待ちきれないままに、子供はもうすやすやと眠ってしまった。そのときについたのであろう「小さき手の跡」を見て、作者は微笑しつつ、子供の純真をいとおしく思うのだ。サンタクロースが橇に乗って、世界中の子供たちにプレゼントを配ってまわる。どこのどなたの創案かは知らないが、すばらしいアイディアだ。一年に一夜だけ、夢を現実にかなえてやる。むろん、そのために逆に哀しい思いをする子供もいるわけだが、それもこれもをひっくるめて、このアイディアは子供たちに夢を描くことの喜びを教えてくれる。長じてサンタの存在を信じなくなっても、それは心のどこかに「小さき手の跡」のように残っていくだろう。サンタを商業主義の回し者みたいに言う人もいるけれど、私はそうは思わない。たしかにそうした一面がないとは言えないが、単なる商魂だけではカバーできない魅力をサンタは持っている。そうでなければ、多くがクリスチャンでもないこの国に、子供へのプレゼントの風習が定着するはずがない。新年のお年玉をねらう商魂がいまひとつ伸びを欠くのは、こうした夢の構造を持ち得ないからだろう。私が小さかった頃は戦争の真っ最中で、サンタのサの字もなかった。いまだに残念で仕方がない。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


December 23122003

 落日をしばらく見ざり十二月

                           五味 靖

二月の特性を、物理的な面と心理的な側面の両面から浮き上がらせた佳句だ。十二月は冬至を含む月だから、一年中で最も日照時間が短い。夜明けも、そして日没も早い。だから、オフィスなど室内で仕事をしていると、仕事が終わるころにはもう日が暮れていて、「落日」は物理的に見られない理屈だ。加えてこの月は多忙なので、たとえ日没時間に戸外にいたとしても、悠長につきあう心理的なゆとりのないときが多い。したがって「しばらく見ざりし」いう思いが、たとえば今日のような休日にぽっとわいてくるわけだ。なんでもないような句だけれど、会社勤めの読者には大いに共感できる世界だろう。十二月の句には多忙を詠んだ心理的主観的かつ人事的なものが多いなかで、ちゃんと物理的な根拠も踏まえているところが気に入った。ちなみに、今日の東京地方の入日は四時三十二分だ。暗くなってから「まだこんな時間なのか」と、あらためて実感する人もいるだろう。そのものずばりの句が、岡田史乃にある。「日没は四時三十二分薮柑子」。季語である「薮柑子(やぶこうじ)」の赤い実は正月飾りに使われるから、これまた物理的心理的に押し詰まった感じをよく描き出している。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)




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