January 022004
懸想文売りに懸想をしてみても
西野文代
季語は「懸想文売(けそうぶみうり)」で新年。現代の歳時記には、まず載っていないだろう。江戸期の季語だ。「懸想文」とは艶書、ラブレターのことだが、まさかラブレターを売ってまわったわけじゃない。曲亭馬琴の編纂した『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)に、こうある。「鷺水云、赤き袴、立烏帽子にてありく也。銭を与へつれば、女の縁の目出たく有べしといふことを、つくり祝して洗米をあたへ帰る也。今は絶て其事なければ、恋の文のやうに覚えたる人も有故に、口伝をこゝにしるしはべる」。要するに、良縁を得る縁起物を売り歩いた男のことである。馬琴の生きた18世紀後半から19世紀半ばのころにも、既に存在しなかったようで、「それって、なに?」の世界だったわけだ。ところが、ところが……。1923年に京都で生まれた作者は、馬琴も見たことのない「懸想文売り」に、実際に会っている。こう書いている。「その年の懸想文売りは匂うように美しかった。おもてをつつむ白絹のあわいからのぞく切れ長な目。それは、男であるということを忘れさせるほどの艶があった」。で、掲句ができたわけだが、ううむ、いかな京都でもそんな商売が成り立っていたのだろうか。作者は、八百円で買ったというが……。その日は、ちょうど波多野爽波の句会があって、さっそく作者がこの題を出したところ、爽波が言ったそうだ。「誰ですか。こんな作りにくい題を出したのは」。たしかに作りにくかろうが、しかし懸想文売りの存在は爽波も一座の人も知っていたことになる。で、その席で爽波が作りにくそうに作った句が、「東山三十六峰懸想文」。何のこっちゃろか。『おはいりやして』(1998)所収。(清水哲男)
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