~句

January 0412004

 膝にパン置く少年へお年玉

                           矢沼冬星

族で年賀の挨拶に来ている。「はい、お年玉」と差しだすと、少年が食べかけのパンを膝の上に置いて、両手で受けとった図だ。たぶん、他には大人ばかりの席なのだろう。パンをテーブルに置かないのは、歯形のついたものを剥き出しに晒したくないという含羞からである。だから、咄嗟に隠すように膝に置いたのだ。初々しい少年の仕草が好もしい。また、お節料理は子供の口に合うまいと、ちゃんとパンを用意しておいた主人の側の配慮も暖かい。正月ならではのほほ笑ましい情景だ。こういう句を読むと、おのずから微笑が浮かんでくるが、ちょっびり哀しい気分にもなってくる。というのも、膝にパンを置くというような純情な少年期が、誰にもそう長くは続かないことを思ってしまうからだ。まことに「少年老いやすく」なのであって、この少年に自分の同じ時期のあれこれが重なり、そしてすぐに現在の自分との隔たりの遠さを思い知らされるからである。作者の意図が那辺にあるにせよ、このあたりまで読まないと、鑑賞が成立しないような気がする。大人の前ではかしこまってばかりいて、故に例えばよくしてくださった先生とも、遂に一定の距離を置き続けてしまった。そんなことまでに思いがいたり、正月早々からしんみりさせられたことである。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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