January 062004
絶筆となる日もあらむ初日記
沼田黄葉子
中学高校時代と日記をつけていた。はじめは学校で提出を義務づけられたからで、惰性でなんとか高校まではつづけられたが、それもだんだん飛び飛びになり、いつしか頓挫した。したがって、いまは「初日記」の感慨はない。感慨ではないけれど、つけていた頃の正月には、いつも市販の日記帳のトップにある「年頭の所感」を書きあぐねて苦労したことを思い出す。だいたいが人生や生活を設計したりするタイプじゃないから、年の始めだといって「よし、がんばるぞ」という気が起きなかったようだ。この気質は、相変わらずである。しかし世の中を見渡すと、日記をつけている人は多いらしく、歳時記にもたくさんの「初日記」句が並んでいる。なかで目についたのは、掲句のような高齢者(とおぼしき人)が詠んだもので、新しいページを前にして思うことは、もはや「よし、やるぞ」ということよりも、余命についてなのであった。若いうちだと、絶対に出てこない思いである。当たり前といえば当たり前の思いかもしれないが、あらためて差しだされてみると、胸の奥がかすかにうずく。私にも、こういう句がわかるような年齢が訪れたということか。いたしかたなし。されど、口惜し。へんてこりんな感想になってしまった。『新日本大歳時記・新年』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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