晴れるのはよいのだが、空気がカラカラ。毎冬のことなれど、そろそろ一雨欲しい東京。




2004ソスN1ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1112004

 冬川の假橋わたりとつぎゆく

                           金尾梅の門

校時代は電車通学だったが、駅までの道に多摩川を越える50メートルほどの長さの高い橋があった。永田橋という名前だった。それまでの渡船場が廃止され橋をかけたわけだが、これがいかにも急造といった木造の頼りない橋で、まさに「假橋」。車が通るたびにギシギシと鳴り、かなり揺れるのだった。申し訳程度に低い欄干がついてはいたが、ダンプカーと擦れ違った際にあやまって河原に転落し、一年間の休学を余儀なくされた同級生がいる。句の「假橋」も、そんなものではないかと連想した。荒涼たる冬の川にかかる粗末な橋を渡って「とつぎゆく」女性は、実の娘か身内の者だろうか、それとも偶然に見かけた見知らぬ人だろうか。いずれにしても「わたり」「とつぎゆく」の平仮名表記が、まだどこかに幼さの残る女性を思わせる。この橋の向こうに爛漫たる春が待っていてくれればよいのだが、なんだか苦労だけが待ち受けているような心細さのほうが先に立ってならない。その気持ちを打ち消しつつ、花嫁を見送る作者の気持ちがよく滲み出ている句だ。なお作者の「梅の門(うめのかど)」とはいかにも古風な俳号で、江戸か明治に活躍した人を思わせるけれど、1980年に八十歳で亡くなった人だから、現代の俳人と言ってよい。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


January 1012004

 餅を食ふ三十三年前の父

                           吉田汀史

語は「餅」で冬。なぜ「三十三年前」なのだろうか。前書はないのだが、何か理由があるはずだと、句集の作句年代を見てみた。1977年(昭和五十二年)の冬に詠まれている。この年の三十三年前は1944年(昭和十九年)であり、すなわち敗戦の前年にあたる。この年、作者は十三歳。冬なので、まだ国民学校(小学校)6年生だったろう。こう見取り図を描いてみると、黙々と「餅を食ふ」父親像が浮かんでくる。作者がその姿をよく覚えているのは、食料難の時代だったからだ。配給の糯米で搗いたのか、あるいは他家よりのお裾分けなのか。比較的豊かな稲作農家であれば話は別だが、普通の家庭であれば潤沢に餅があったとは考えにくい。少しの餅を、家族で少しずつ分け合って食べた。それを少しも嬉しそうにではなく、むしろ不機嫌そうに食べていた父親。いまにして思えば、父親の不機嫌の理由は理解できるが、当時は何もわからなかった……。いま作者も餅を食べていて、ふっと当時のことを思い出し、家族を抱えて前途暗澹、さぞや苦しかったであろう父親の胸中を思っているのである。知らず知らずのうちに、作者もまたそのときの父親の顔つきで「餅を」食っていたのだろうなと想像される。あのころの父親は、そしてもちろん母親もまた、まだ若い時代を、ただ苦労するためにだけ生まれてきたようなものだと思う。憎んでも憎みたりないのは戦争である。『浄瑠璃』(1988)所収。(清水哲男)


January 0912004

 空青しフレームの玻璃したたりて

                           金子麒麟草

語は「フレーム」で冬。といっても、すぐにイメージのわく読者がどれくらいおられるだろうか。外来語(英語の"frame")ではあるが、季語にまでなっているほどだから、一時は一般用語としても普通に通用していたのだろう。しかし、私は知らなかった。この句をみつけた歳時記に曰く。「寒さから植物を保護し、また蔬菜や花卉を促成栽培するための保温装置あるひは人工を以て温熱を補給する設備のこと。藁・蓆などで覆つた簡単なものなどいろいろある」。要するに温室のことで、英語の辞書で"frame"を引くと、何番目かの意味にちゃんと「温室」と出てきた。一般住宅とは違い、枠(フレーム)組みが露わであることからの命名だろうか。句のそれはガラス張りだ。昔の農家の設備としては高価すぎる感じがするので、農事試験場や植物園の温室だろうと思う。何日かつづいた雪空が一転して晴れわたり、抜けるような青空の下で、温室の大きな「玻璃(はり)」が溶ける雪のしずくを滴らせている。まことに清々しい情景で、仕事始めの句だとすれば、なおさらに気持ちがよい。この「フレーム」が使われなくなったのは、おそらくビニール・ハウスの圧倒的な普及に原因していると思われる。昨秋訪れた故郷の村も、「ハウス」だらけであった。米作だけでは生活が成り立たなくなり、どこの家でもハウスでトマトやキュウリを栽培していると聞いた。本来は夏の野菜が、一年中出回っているわけである。そのことに私などはよく季節感の喪失を嘆くのだが、農家は生きるために、そんな悠長なことを言ってはいられないのだ。そのことが、よくわかった旅でもあった。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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