看板のステッカー・シリーズ終了。私も参加しているここがネタ元でしたっ。




2004ソスN1ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3112004

 キオスクに黒タイを買ふ漢の嚔

                           石井ひさ子

語は「嚔(くさめ・くしゃみ)」で冬。「漢(かん)」は男子のこと。好漢、悪漢、無頼漢などと使う。これから通夜に出かけるところか。不祝儀は突然にやってくるものだから、男もあわてて「キオスク」で「黒タイ」を買っているのだろう。そのときに、思わずも「嚔」が出てしまったのを作者は目撃した。って、嚔はたいてい思わずも出るものだが、傍で見ていると、なんとなくその人が緊張感を欠いているように写ってしまう。だから、この男の通夜に行く心情も、あまり切実ではなく、どちらかといえば義理を果たしに行くという感じに見えたのだった。義理の付き合いも大変だな……。そういうことだろうと思う。こういうときにキオスクはまことに便利で、黒タイもあれば香典袋もある。むろん祝儀袋もあり、署名用の筆記用具もあるといった案配だ。私も、何度かそういうものを求めた経験がある。品揃えにはコンビニと共通するところもあるが、やはりキオスクならではの独特の仕入れ方があるのだろう。なにしろ、客が電車を待つ間のほんの短い時間での勝負だ。よく眺めたことはないけれど、句の「黒タイ」同様に、他の商品も緊急事にとりあえず間に合うような、しかも安価なものが多く取りそろえてあるはずである。そのときに不必要な人には、なんでこんなものが置いてあるのかと首をかしげたくなる商品も、きっとあるに違いない。一度、じっくりと観察してみよう。俳誌「吟遊」(No.21・2004年1月)所載。(清水哲男)


January 3012004

 病む妻へ買ひ選る卵日脚伸ぶ

                           中村金鈴

語は「日脚伸ぶ」で冬。冬至を過ぎると、わずか畳の目ひとつずつくらい日脚が伸びてくる。春が、ゆっくりと近づいてくる。「病む妻」のために、店先で卵を選る作者。粒ぞろいの卵がワンパックいくらの時代ではなかったから、大の男が慎重に一個ずつ選んでいる。昔の卵は高価だったし、おおかたの庶民は病気の時くらいしか口にできなかった。そういうこともあって、選ぶのも慎重になるわけだが、この慎重さに妻へのいつくしみの心が重なっている。このときに、「日脚伸ぶ」の候は吉兆のように思える。彼女が伸びてゆく日脚とともに、快方に向かってくれているような気がするのだ。何度か書いたことだが、その昔の我が家はこの卵を供給する側だった。といっても三十羽程度しか飼っていなかったけれど、貴重な現金収入源だったので、まず家族で口にすることはなかった。たまに何かの拍子でこわれてしまい、売り物にならなくなったものを食べた。鶏はみな放し飼いである。彼らの世話の一部が、学校から帰ってきての私の仕事。夕暮れに鶏舎に追い込んでから風呂をわかし、仕事が終わる。その風呂のかまどの火の明りで、いろいろな本を読んだ。あるとき父が購読していた「養鶏の友」を見ていたら、バタリー方式なる画期的な鶏の飼い方が紹介されていて、目を瞠った記憶は鮮明だ。現在の工場みたいな卵生産装置のさきがけである。バタリー方式はあっという間に広がり、すでに半世紀以上を閲している。しかし、生きているものを身動きもならない狭間に閉じ込めておいて、生態系にゆがみが生じないわけがない。鳥インフルエンザは、そのゆがみの現れだと思う。ツケがまわってきたのだ。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


January 2912004

 パソコンに並べて軍手雪来るか

                           水上孤城

近、パソコンを素材にした句が散見されるようになってきた。だいぶ普及してきた様子がうかがえる。ある調査によれば、家庭への普及率は60バーセントを越えたという。私がはじめて触った二十年前に比べると、まさに隔世の感ありだ。間もなく、テレビ並に行き渡るのだろう。さて、掲句。雪が降ってきそうな気配なので、用心のために(たぶん)雪掻き用の「軍手(ぐんて)」を用意し、「パソコン」の隣りにちょっと置いた図だ。パソコンは室内で使うもの、軍手は戸外で使うもの。何でもない取り合わせのようでいて、これらが実際に並んだ様子には、かなりの違和感がある。机の上にもそれなりに秩序というものがあるから、パソコンや筆記具や本などだと秩序は乱れない。ところが軍手に限らず、机の上では使わないものを置くと、途端に机上の世界の秩序が乱れ、なんとも落ち着かない気分にさせられてしまう。どなたにも経験があるだろうが、これは買ってきた新品の靴を畳の上で試しにはいてみるようなもので、なんとなく気分にぴったり来ないのだ。そこらへんの感覚の微妙な揺れをとらえていて、面白いと思った。その揺れが、雪に身構える姿勢と重なり合って伝わってくる。知らず知らずのうちに、私たちはあちこちに秩序世界を形成し、そのなかで暮らしているのである。俳誌「梟」(2004年1月号)所載。(清水哲男)




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