橿原神宮紀元祭に例年数千人の参列者が。♪雲に聳ゆる…も歌われるのか。




2004ソスN2ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1122004

 挿木する明日へのこころ淡くして

                           能村登四郎

語は「挿木(さしき)」で春。枝などを切って土や砂に挿し、根を出させて苗木をつくる。時期的にはまだ早く、すっかり暖かくなった春の彼岸ころに行われることが多い。若き日の寺山修司が好んだフレーズに、「もしも世界の終わりが明日だとしても、私は林檎の種を蒔くだろう」というのがあった。誰の言葉かは忘れた。種蒔きでも挿木でも同様だが、この作業は「明日」があることを前提にし、それも植物が生長を遂げるのに十分な時間の幅を持った明日である。むろん生長を見守る自分も、充実の時には存在していなければならない。だから、世界が明日破滅すると決まっていても林檎の種を蒔くという行為には、矛盾がある。しかし大いなる矛盾があるからこそ、このフレーズには、どんな状況においても希望を捨てない若々しいロマンチシズムがみなぎっているのだ。前置きが長くなったが、掲句は一見、このフレーズの淡彩版のようにも読める。というのも「明日へのこころ淡くして」挿木する作者を若者だとみるならば、心弱き日の感傷的な行為と受け取られ、立ち上がってくるのは甘酸っぱいようなロマンチシズムの香りである。だが、実際に作者が詠んだのは、最晩年の九十歳の春だった。そのことを知ると、句は大きく様相を変えて迫ってくる。すなわち、「明日」がないのは世界ではなくて、我が命のほうなのだ。挿している植物が生長するまで、生きていられるだろうか。その心もとなさを「こころ淡くして」と詠み、みずからの明日の存在の不確実性は真実こう詠むしかないわけであり、ここには微塵のロマンチシズムも存在しないのである。我が身の老いを完全に自覚したときの孤独感とはこのようなものなのかと、粛然とさせられた。『羽化』(2001)所収。(清水哲男)


February 1022004

 雛菓子を買はざるいまも立停る

                           殿村菟絲子

語は「雛菓子」で春。通常は「雛あられ」を指すことが多い。雛祭りに、白酒や菱餅とともに供えられる。作句時の作者は、五十歳前後という年齢だ。もうだいぶ以前に、雛を飾ることは止めてしまっているのだろう。それでも、店先の雛菓子の前では、思わずも立ち止まって眺め入ってしまうというのである。私も買いはしないが、色彩につられて立ち止まることはある。が、作者のように女性ではないから、その美しさを楽しむだけだ。でも女性の場合には、単なる美しさを越えて、幼かったころからの雛祭りの思い出が脳裡に明滅することだろう。紅、緑、白と明るい色彩の配合ではあるが、いずれも淡い色合いである。その淡さが、逆に懐旧の念をいっそう濃くすると言うべきか。紅は桃の花、緑は物の芽、白は雪をあらわしているそうで、春到来の喜びが素直に伝わってくる。ところで、この三色の配合はクリスマス・カラーと共通していることに気がついた。こちらは紅というよりも赤だけれど、濃度が異る点を除けば、クリスマスの色もほぼ同じものを使う。使いはじめたいわれには諸説あるようだが、一説に、赤はキリストの血、緑はもみの木の十字架を思わせる葉っぱ、白は日本と同じく雪の色を表現したものだという。しかし、あまり詮索することでもないだろうが、日本のそれに意味的にも共通する雪の白をベースに考えると、要するに雪におおわれた白一色、あるいは無色の現実世界に刺激をもたらす色として、赤と緑が自然に使われるようになったのだろう。理屈は、あとからつけられたのだと思う。蛇足を重ねておけば、これら三色にもう一色重ねるとすると、日本では黄色、欧米では金色だ。このあたりでも、ほぼ共通している。『路傍』(1960)所収。(清水哲男)


February 0922004

 春寒のペン画の街へ麺麭買ひに

                           辻田克巳

なお寒い街の様子を、ずばり「ペン画の街」と言ったところに魅かれた。なるほど、暖かい春の日の街であれば水彩画のようだが、寒さから来るギザギザした感じやモノクローム感は、たしかにペン画りものだ。そんな街に「麺麭(パン)」を買いに出る。焼きたてのパンのふわふわした質感と甘い香りが、肩をすぼめるようにしてペン画の街を行く作者を待っている。このときに、「麺麭」はやがて訪れる本格的な春の小さな比喩として機能している。いや、こんなふうに乱暴に分析してしまっては面白くない。もう少しぼんやりと、寒い街を歩いていく先にある何か心温まる小さなものを、読者は作者とともに楽しみにできれば、それでよいのである。ところでペン画といえば、六十代以上の世代にとっては、なんといっても樺島勝一のそれだろう。彼は最近、戦前に人気を博した漫画『正チャンノ冒険』が復刻されて話題になった。私の子供のころには「少年クラブ」や「漫画少年」の口絵などを描いていたが、画家としての最盛期は戦前だった。当時は「船の樺島」とまで言われたほどに帆船や戦艦の絵を得意にしていて、山中峯太郎、南洋一郎や海野十三などの少年小説の挿し絵には抜群の人気があったらしい。彼の挿し絵があったからこそ、小説も映えていたのだという人もいる。ぱっと見ると写真をトレースしたのではないかという印象を受けるが、よく見ると、絵は細いペン先で描かれた一本一本のていねいな線の集合体なのだ。もちろん下手糞ながら、私には彼や時代物の伊藤彦造を真似して、ペン画に熱中した時期がある。図画の宿題も、ぜんぶペン画で出していた。仕上げるには非常な根気を必要とするけれど、さながら難しいクロスワードパズルを解いていくように、少しずつ全体像に近づいていく過程は楽しかった。そんな体験もあって、掲句の「ペン画の街」は、人一倍よくわかるような気がするのである。「俳句研究」(2004年2月号・辻田克巳「わたしの平成俳句」)所載。(清水哲男)




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