少し関係している某CS局が近々廃業することになった。明るい話が欲しい。




2004ソスN3ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1132004

 春宵を番台にただ坐りをり

                           波多野爽波

語は「春宵(春の宵)」。一風呂浴びて戻る客は、道すがら「春宵一刻値千金」などと、しばし艶めいた感傷に耽ったりするわけだが、ここ「番台に」ただ坐っている人は、そんな心情とは一切無縁である。べつに同情をしているのではなくて、立場により同じ一刻の感じ方がかくも違うことに気がついて、作者は「ふーむ」と感じ入っているのだ。句の可笑しみは、番台の人のありようから発しているというよりも、むしろ作者の「ふーむ」から滲み出てくる。漱石あたりのユーモアに似ている。その前に、もうひとつ可笑しみの大きな要因がある。極めて大切なことだから書いておくが、私たちが可笑しく感じるのは、この一行を「俳句」だと認証し、それを前提にするからだ。俳句だと思うから、ポピュラーな季語である「春宵」にかなり過剰な思いを入れ込んで読みはじめるのである。そのことは初手から作者の計算のうちに、ちゃんと入っている。入っているから、読者の季語に対する先入観を利用して、不意に番台の人を登場させ、いわば読者の上ってきた「季語という梯子」をいきなり外してみせたのである。ここに、可笑しみを生じさせる最大の手管がある。このことが示唆するものは大きい。ともすれば、過剰に季語に選りかかりすぎる者たちへの警鐘の句だと言ってもよいほどだ。有季定型を信条とする詠み手も読者もが、おおかたは季語に溶け込むことにばかり腐心し、それも一概に否定はできないけれど、なんでもかでも季語の窓から世間を覗こうとする姿勢は、詩歌のためにもよろしくない。季語があるから世間がある。と、そんな馬鹿なことはないだろう。しかし、そんな馬鹿なことが横行しているのが、実は俳句の世界なのだ。掲句は、そこらへんを皮肉ってもいる。人さまざま、世間もとりどり。そのなかで俳句の位置は那辺にありや。頭でっかちならぬ「季語でっかち」俳句の無闇矢鱈な連発は、そろそろ打ち止めに願いたい。『舗道の花』(1956)所収。(清水哲男)


March 1032004

 春闘妥結トランペットに吹き込む息

                           中島斌雄

語は「春闘」。たしかに、こんな時代があった。もはや、懐しい情景になってしまった。何日間も本来の仕事の他に、根をつめた労使交渉をつづけたあげくの「妥結」である。たとえ満足のゆく結果が出なかったとしても、ともかく終わったのだ。その安堵感の中で、久しぶりの休日に、趣味のトランペットを吹く時間と心の余裕ができた。楽器の感触を確かめながら、おもむろに息を吹き込む男の様子に、読者もほっとさせられる句である。とはいえ、現在の仕事の現場にいる人たちのほとんどには、もう掲句の味をよく解することはできないだろう。いまや春闘は一部大手企業の中でかろうじて命脈を保っているだけであり、他の人々には実質的にも実態的にも無縁と化してしまっているからだ。春闘がはじまったのは1955年(昭和30年)であり、季語にまでなって誰にも無関係ではない闘争であったものが、わずか半世紀の間にかくも無惨に形骸化するとは、誰が予測しえたであろうか。春闘をめぐっては数々の議論があって、とても紹介しきれないけれど、いずれにしても労使双方があまりにも経済一辺倒の価値観を持ちすぎたがために崩壊したと、私には写っている。「カネ」にこだわるあまりに、労働現場の改善はなおざりにされ、いまだにサービス残業や単身赴任などという異常な事態が、誰も不思議に思わないほどまでに定着しているのも、春闘の中身が何であったかを物語っている。このところの経団連は「不況と失業の時代なのだから、賃上げどころではない」と言いつづけているが、これは要するに旧態依然として「カネ」にこだわっている態度にすぎない。不況と失業の時代だからこそ、労働者を守り育てていかねばならぬ雇用者の責務を自覚していないのだ。話にならん。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


March 0932004

 早わらびの味にも似たる乙女なり

                           遠藤周作

語は「早わらび(さわらび・早蕨)」で春。「蕨」の項に分類。題材にした詩歌では、ことに『万葉集』の「石走る垂水のうえのさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)が有名だ。芽を出したばかりの蕨は、歌のようにいかにも初々しい緑の色彩で春を告げる。その意味で、この歌は完ぺきだ。あまりにも完成しすぎているために、今日でも「早蕨」を詠むとなると、どうしてもこの歌がちらりと頭をかすめてしまう。歌が詠まれてから千数百年も経ているというのに、いまだ影響力を持ちつづけているのだから、詩歌世界の怪物みたいな存在である。だから後世の人々はそれぞれに工夫して、志賀皇子の世界とは一線を画すべく苦労してきた。なかには現代俳人・堀葦男のように「早蕨や天の岩戸の常濡れに」と詠んで、志賀皇子の時代よりもはるか昔にさかのぼった時間設定をして、オリジナリティを担保しようと試みた例もある。小説家である作者もそんなことは百も承知だから、故意に「色」は出さずに「味」で詠んだのだと思われる。「乙女(おとめ)」を形容するのに「味」とはいささか突飛だが、そこは周到に「味にも」とやることで、句には当然「色」も「香」も含まれていることを暗示させている。早蕨のほろ苦い味。そんな初々しい野性味を感じさせる「乙女」ということだろう。そよ吹く春の風のように、そのような若い女性が眼前に現れた。そのときの心の弾みが詠まれている。が、不思議なことに、句からは女性その人よりも、むしろ目を細めている作者の姿のほうが浮び上ってくる気がするのは何故だろうか。金子兜太編『各界俳人三百句』(1989)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます