F~j句

March 1232004

 花館揃うや真田十勇士

                           宇咲冬男

猿飛佐助
書に「松代(まつしろ)」とある。言わずと知れた真田氏の城下町(長野県)である。「花」は桜花、「館」は真田一族を偲ぶための展示館だろうか。満開の桜につつまれた「館」で往時のあれこれに思いを馳せていると、ごく自然に「真田十勇士」の面々がここに打ち揃っている気分になったと言うのである。十勇士は、あと一歩のところまで徳川家康を追いつめながら敗れ去った悲劇の名将・真田幸村の家来たちだ。猿飛佐助(さるとびさすけ)、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)、三好清海入道(みよしせいかいにゆうどう)、三好伊三(いさ)入道、穴山小助(あなやまこすけ)、由利鎌之助(ゆりかまのすけ)、根津甚八(ねづじんぱち)、筧(かけい)十蔵、海野(うんの)六郎、望月(もちづき)六郎の十人をいう。こういう句は、私のように少年時代に講談本などで彼らの活躍ぶりを知っている者には、文句無く楽しい。十勇士すべては架空の人物で、明治から大正期にかけて出版された「立川文庫」で人気を博し、その後は映画にもなり漫画にも多く描かれてきた。猿飛や霧隠は忍術の使い手だし、他の者もそれぞれの武芸に秀でた歴戦の勇士たちである。これだけのメンバーを揃えながら、なぜ幸村は敗けたのだろうと思ったりしたものだが、そこはそれ史実に重ねたフィクションなのだから仕方がない。真田幸村を惜しんだ人たちが、せめて創作の上ではあるが、彼に花を持たせてやりたいとの人情が生んだ勇士たちだった。世に源義経びいきも多いが、幸村びいきも負けてはいない。豊臣方ということもあって、関西に根強い人気を誇っている。なお、幸村の死で真田家は途絶えたわけではなく、ややこしいいきさつは省略するが、松代藩は信州最大の十万石で明治維新を迎えている。『虹の座』(2001)所収。(清水哲男)


August 2982006

 花茗荷きょうが終ってしまいけり

                           宇咲冬男

の長い残暑もようやくその尾を巻き取ろうとしている。ひと筋の風が頬に触れ 、蜩の声が聞こえると、どこか遠くで準備されていた秋が、すぐそこに近づいてきたのだと気づく。新しく巡る季節のなかで、秋の始めをことさら意識するのは、夏が力づくでやってきて、まるで終わることなど考えられないような激しさで毎日を攻めたてていたからだ。力のあるものの終わりを見つめることの悲しみが、秋の始まりにはある。一日が「終わる」のではなく「終わってしまう」という掲句もまたこの時期ならでは焦燥感が込められている。さらに「けり」の切れ字によって、自分ではいかんともしがたい圧力が加わり、途方に暮れる気持ちが一層強まる。茗荷の花という一般にあまり馴染みのない花の、地面からいきなり突き出る唐突とさえ思えるような形が、作者のとりとめのない心情にぴったりと寄り添い、はかなく美しい秋を象徴しているようだ。永遠に続くと思っていた夏休みもあと三日。たっぷり残った宿題を前に呆然としていた小学生時代こそ、今日が終わってしまうことにすがるような心地であったことをふと思い出す。『塵劫』(2006)所収。(土肥あき子)




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