March 162004
自分の田でない田となってれんげも咲く
三浦成一郎
季語は「れんげ(蓮華草・紫雲英)」で春。いまでは化学肥料の発達で見られなくなったが、かつては緑肥として稲田で広く栽培されていた。この季節に紅紫色の小さな花が無数に田に咲いている様子は、子供だった私などの目にもまことに美しかった。春の田園の風物詩だったと言ってもよいだろう。その美しい情景が、もはや「自分の田でない田」に展開している。生活苦から手放した田と思われるが、他の動産などとちがって、売った田や山は、このようにいつまでも眼前にあるのだから辛い。「れんげも」の「も」に注目すると、自分が所有していたころには「れんげ」を咲かすこともできなかったのだろう。どうせ手放すのだからと、秋に種を蒔かなかった年があったのかもしれない。いずれにしても、他人の手に渡ってから美しくよみがえったのである。その現実を突きつけられた作者の胸の疼きが、ひしひしと伝わってくる。戦前の一時期に澎湃として起こったプロレタリア俳句の流れを組む一句だ。五七五になっていないのは、虚子などの有季定型・花鳥諷詠をブルジョア的様式として否定する立場からは当然のことだったろう。プロレタリア俳句の萌芽は、自由律俳句を提唱した荻原井泉水の「層雲」にあったことからしてもうなずける。リーダー格の栗林一石路や橋本夢道、横山林二などは、みな「層雲」で育った。「山を売りに雨の日を父はおらざり」(一石路)、「ばい雨の雲がうごいてゆく今日も仕事がない」(夢道)。掲句が発表されて数年後には京大俳句事件などが起き、言論への弾圧は苛烈を極めていく。俳句を詠み発表しただけで逮捕される。今から思えば嘘のような話だが、しかしこれは厳然たる事実なのだ。自由な言論がいかに大切か。こうした歴史的事実を思うとき、いやが上にもその思いは深くなる。「俳句生活」(1935年7・8月合併号)所載。(清水哲男)
March 262005
紫雲英草まるく敷きつめ子が二人
田中裕明
季語は「紫雲英草(げんげそう)」で春、「紫雲英」の項に分類。「蓮華草(れんげそう)」とも。かつては田圃で広く栽培され,肥料として春の田に鋤き込まれていた。いちめんに紫雲英咲く田圃の風景は,絵のように美しかった。私にも覚えがあるが,花を摘んでは首飾りめいたものなどを作って遊んだものだ。句の「子」は、「二人」とも女の子だろう。二人は,とある農家の庭先で,ままごと遊びでもしているのか。カーペットに模したつもりだろう、たくさんの紫雲英を取ってきてていねいに「まるく敷きつめ」、その上にちょこんと坐って遊んでいるのだ。それだけの光景ではあるけれど,この句を味わうためには,尻の下に敷いた紫雲英草の冷たい感触を知っている必要がある。間違いなく,作者はそのことを前提にしている。そのひんやりとした感触を想起することで,女の子たちに注がれている暖かい春の日差しのほどが想像され,ようやく光景は質感をもって立ち上がってくるのだからだ。つまり句の狙いは、昔の絵本にあるような傍観的童画的光景ではなく,あたかも作者が一瞬,二人のうちの一人であるかのように気持ちを通わせた光景だと言って良いと思う。句に滲んでいる懐かしさのような情感は,そこから発しているのである。「俳句」(2005年4月号)に島田牙城が寄せた作者への追悼文によれば、掲句は田中裕明の所属した「青」(波多野爽波主宰)への初入選句だという。となれば、このときの作者はまだ高校生だった。高校生にして,既にその後のおのれの俳句への道筋を定めているかのような句境には驚かされる。俳誌「青」(1977年7月号)所載。(清水哲男)
April 112007
畑打つや中の一人は赤い帯
森 鴎外
春先の陽をいっぱいに浴び、人がせっせと畑を打つ風景。それはかつての春の風物詩であった。今はおおかた機械化されてしまって、こうした風景はあまり見られなくなった。年々歳々田や畑から失われていった農村風景である。まだ冬眠をむさぼっている蛙などがあわてて跳び出したり、哀れ鍬の犠牲になったり・・・・鴎外は現場のそんな残酷物語にまで視線を遊ばせることはない。畑のあちらこちらで鍬を振るう姿が散見されるなかで、一人だけ赤い帯をきりりと締めて黙々と畑を打っている女性に目を奪われた。農家の若い嫁さんが、目立つ赤い帯をして農作業をしている姿は、私の目の隅っこにも鮮やかに残っている。野良仕事のなかにも、女性のおしゃれは慎ましくもしっかり息づいていた。何かの折に目にした光景であろうか、鴎外にしてはやわらかいハッとした驚きが生きている。鴎外に対する先入観とのズレを感じさせるような、その詠いぶりに興味をおぼえた。鴎外は俳句もたくさん残している。同じように農村風景を題材にした句に「うらゝかやげんげ菜の花笠の人」がある。初めて尾崎紅葉に紹介されたとき、鴎外はこう言ったという。「長いものは秋の夜と鴎外の論文、短いものは兎の尾と紅葉の小説」。紅葉の俳句もよく知られているが、「長いもの」と自らを皮肉った鴎外が、いっぽうで短詩型に親しんだというのも皮肉?『鴎外全集』19(1973)所収。(八木忠栄)
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